二日目


ホテルのバイキング朝食

混んでるので弁当にして部屋で食べることもできるとの事であったが、席が空いたので食堂で。


今日は大三島に戻り、大久野島島へ


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①道の駅 多々羅しまなみ公園

















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②盛港に到着


往復の乗船券を購入


うさぎのえさ


買ってみた


船が到着


大久野島へ


下船し、

大久野島の「第二浅橋」に到着






大久野島のうさぎ

うさぎの島で有名ではあるが、実は戦時中ここに毒ガス工場が置かれ、うさぎは、動物実験扱いでした。


島の毒ガス実験にはうさぎ200匹も使われていたといいますが、終戦時には処分され、現在島に住むうさぎたちはその子孫では無いとの事。


では、何故うさぎが多いのか?

戦争が終わり、高度成長期に入り、観光の大衆化が進み、この島の安全性が確認され、国民休暇村として整備されることになったが、その際に観光客を呼び込む為に、島のマスコット的な存在としてうさぎが選ばれたそうです。


猿や鹿も候補に挙がっていたそうですが、最終的に選ばれたのはうさぎだったのこと。

大久野島のうさぎは過去から深い縁で繋がっている。


大久野島

ここから時計回りに周る


持ち込み餌は持ち帰り厳守

ネズミやイノシシなどが増えるらしい




レンタサイクルあり






斜面を見上げると早速いた




休暇村までの送迎バスがある






うさぎ発見


さっそく餌をあげてみる


おっ食べた






幹部用の防空壕






暗くて見えず




毒ガス製造器具




陶磁器製らしい






毒ガス資料館

入館料は150円


撮影は禁止だった。

毒ガス被害者の写真などもあり、ただれた皮膚の子供が痛々しかった。また、毒ガス工場ではゴム製の防毒マスクや防護服などで覆っても、イペリットなどは隙間から浸透して工員たちは次々に気管支や肺を壊していったのこと。




よく見ると


日陰にうさぎが休んでる




うさぎの穴だらけ


千羽鶴






毒ガス工場で働き、被害を受けた人たちの慰霊碑が建てられていた。




大久野島神社




殉職碑

毒ガス工場で働いていたのはのべ約6700人だったらしい


危険な毒ガス兵器を作るとは知らず、新型の化学兵器を作るぐらいの軽い認識だったらしい。


医務室跡地


大久野島灯台








階段を登る


「南部照明所跡地」の上部


ここからサーチライトで


夜間の敵艦探知を行なっていた様子


階段を下るとクマバチが追いかけて来た




休暇村


階段を上がると


子ウサギがいた


事前に道の駅で購入してきた野菜をあげてみる


すぐさま反応して


興味深々


食べた


少し登ると先ほどの「南部照明所跡地」の下部








研究所跡


三軒家毒ガス貯蔵庫跡


島内には毒ガスを製造していた頃の建物が遺構として残っているが、瀬戸内の小さな島にある毒ガス製造所の存在が明らかになれば攻撃を受ける可能性があるため、地図から大久野島は消されて、一帯は何もない海で表現されていたらしい。


びらん性毒ガスで皮膚がただれる猛毒の「イペリット」が貯蔵されていたそう


中は落書きだらけで残念


ここも貯蔵庫らしい


なるほど


半分埋められている状態

「イペリット、ルイサイト」が貯蔵されていたらしい


うさぎが2匹、あげた野菜をもりもり食べて


お腹いっぱいのよう


長浦毒ガス貯蔵庫跡

島で最も大きな貯蔵庫で100トンもの毒ガスが入るタンクが左右の分かれた部屋に6基置かれていたとのこと


建物が大きく、皮膚に付着しただけで皮膚をただれさせ、痛みや水疱を引き起こす「イペリット」や「ルイサイト」を製造していたらしい


大久野島では15年間で何千万人の致死量にあたる6616トンの毒ガスが製造されていたらしいが、戦後には残っていた約3000トンが処理されたとのこと。

内部が黒く焼けており、戦後に毒性を無くすために火炎放射器で焼却したらしく、残った毒ガスは土佐沖に海洋投棄されるなどして処理されたとのこと。


坂を登り、「北部砲台跡」へ向かう






北部砲台跡








砲台は1902年に設置されたようで、「北部」「中部」「南部」の3箇所を合わせて22門の大砲が置かれていたよう。




台座の上には毒ガス工場時代にタンクを置いていた基礎部分が残っている。


水が溜まっている


「観測所跡」へは通行止めとなっていた








中に入ってみると


意外にも明るい




またもや落書きが


けしからん


黒うさぎ発見


中部砲台へ向かう


島で一番の高台のようだ


結構登るなぁ


もうそろそろかな


と思いきやまだ続く。一休憩


振り返ると景色は良い


が、道は長い


また階段


まだかー


ようやく到着


目の前には「小久野島」が


中部砲台跡


1900年頃に設置されたらしい






こんな高台にも






展望園地へ




360°の景観




「南部砲台跡」へ向かう


途中、「発電機跡」への道は立ち入り禁止となっていた


埋もれてる


南部砲台跡




うさぎが2匹


食べてお腹いっぱいに


大きな穴


そこらじゅうに




第二浅橋の近くに「発電所跡」があるのだが、時間の都合上行けなかったので

↓www.qkamura.or.jpより


毒ガス工場の電力を発電していた発電所跡。増築して計8台の発電機があったそうです。

また、この発電所では1944年から密かに行われた「ふ号作戦」により風船を飛ばしアメリカ本土に爆弾を落とす「風船爆弾」の気球を作っていたといいます。動員された女学生は和紙をこんにゃくノリで貼り合わせていたといいます。


平和教育では、広島・長崎の原爆の事が多いが、今回、毒ガスを用いた加害の事実や毒ガスの脅威なども知ることができた。


さて帰りますか


ちょうど船が来ていた




大久野島の軌跡


帰り、瀬戸田PAに立ち寄り


イチ押しの瀬戸田レモンラーメンを頼もうと思ったが、

「ラーメンとたこの唐揚げライスセット」にした。


しまなみ名物のアイスが4種類あったので、

「はっさく」と「しおなみ」のミックスソフトを注文


最近はマラソン大会の遠征を兼ねた旅行しかしていないので、たまにはマラソン抜きなのも、久々で良い気分転換になりました。

ともあれ、2日間でしたが、片道約300kmで往復600kmの運転。特に帰りの運転は深夜になり応えました。
これからは出来るだけ電車+レンタカーが良いかも。