Sランク 三塁手
国内新人選手Sランク三塁手リスト

出身地 北海道・東北 
成長 超晩成
持続 早め 

初期値評価

初期値から打撃力は良いものを持っているのはイメージ通りだと思うのだが、意外と守備の能力も高い。一年目にどのポジションでスタメンに出すかを決めておいた方が良い。入団した時点でも良いので戦力層の薄いポジションにコンバートするのをお勧めする。

 

全盛期評価

完璧極まる打撃能力を有するスラッガーになった。左巧打、長打、選球眼、チャンスがSになりまさしく四番にふさわしい能力になった。ただ振り回す選手ではないのでシーズン記録を塗り替えるのは難しいと思われる。

走塁は微妙だがなぜか盗塁がBまで伸びるので意外と盗塁することがある。二桁はしないが。

守備に関しても平均的にいいものを持つ。足がないので一塁にコンバートするのが良いのだが…良い選手が来ないことを祈ろう。意外と打撃特化のイメージに対して起用法は自由が利く器用な選手である。(洒落じゃないよ)


成長遍歴【初期値→スタメン定着→全盛期→衰えピーク】

25歳 26歳

37歳 40歳

 

敵チームに所属していると打撃主要能力がオールSになる。

まだしっかりと検証はしていないが、これは国内新人では

落合にしか起きえない能力である。

多分


ゲーム中の成績【特筆すべき成績と通算成績など】

キャリアハイがこちら。チーム三冠王を達成した。山本浩二とダブルスラッガーとして活躍した。盗塁もなぜか7も記録している。出塁率と四球数は山本浩二のほうが勝っているがなぜか二塁打の数も落合が上回っている。驚異的な能力を持つスラッガーと呼べる。



私的評価【野手】

打撃 S 記録更新は難しいがそれに限りなく近い成績を残す
守備 B 能力自体は平均的だがこなせるポジションが多い
走塁 C 走力はカスだが盗塁が高いので5盗塁くらいは出来る
コスパ E 20億は平気で突破する
即戦力 S 一年目から4番も可能。守れる位置も多いのも◎
活躍期間 A 1年目から15年くらいはスラッガーとして行ける

総合評価 S

足に問題はあるが打撃だけでなく守備もかなり器用にこなせる攻守に優秀な選手。特に打撃に関しては三冠王だけでなくシーズン記録の更新を目指せるほどのものを持つのでゲーム内でも屈指の能力を持つ。選球眼が高いので両打にすれば.400や打率のシーズン記録更新が一番現実的か。

打撃だけならばA止まりの評価だったが、一塁二塁三塁と守れる場所が多く平均的もしくはそれ以上の能力を持つのでセリーグでも困らない。守備でも安定感を持たせたいのならば一年目に選手層の薄いポジションにコンバート。打撃特化にしたいなら1年目に両打にすればいい。

 
やきゅつく2003選手リスト一覧

 

この選手について

落合博満 日本プロ野球記録様

日本の野球史に燦然とその名を輝かせた日本を代表するスラッガー。1978年にドラフト3位でロッテオリオンズに指名されプロ野球入りするがこの時すでに25歳であり2000本安打達成者で最も遅いプロ入りの年齢である。

 

入団当初2年間はファームで実績を重ねて3年目に大活躍。一軍起用1年目でいきなり首位打者を獲得し有藤通世、リー兄弟、落合博満の最凶レベルの破壊力を持つクリーンナップを形成した。(1981年、この時でもう28歳である)

そして1982年で史上最年少で三冠王を獲得した。

この時の成績は.325 32HR 99打点 

もちろん素晴らしい成績なのだが三冠王としてはどうなのよとケチをつけられたことに激おこぷんぷん丸になる。

(というより奮起したのだが)

1983年に.332で3年連続で首位打者を獲得。1985年に.367 52HR 146打点という文句なしの成績で三冠王に輝く。この時の打率は当時の右打者最高打率であり146打点はパリーグ記録であり52HRは日本出身者でかつ日本国籍所有者では最多の記録である。1986年にも三冠王に輝き日本最強のスラッガーとして君臨することになる。.360 50HR 116打点

ちなみに二年連続三冠王は三人目であり、二年連続50HRは日本プロ野球史上初である。

 

しかしこのシーズン後師匠と仰ぐ稲尾和久が監督を解任されると4対1の交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。日本プロ野球史上初の1億円プレイヤーになる。超大型トレードで入ってきた落合は中日でも主要メンバーとして活躍していく。

中日でも2度の本塁打王と打点王を獲得するなどスラッガーとして見事な活躍。1988年にはチームのリーグ優勝にも貢献した。

1993年まで中日に所属していたが同年オフに導入されたFA制度で巨人に入団した。

巨人入団した時点でかなりの高齢だったが2度のリーグ優勝に貢献。2000本安打、500本塁打、1500打点などの節目の記録も更新した。43歳の1996年、.301 21HR 86打点の成績を残し史上初の43歳での規定打席到達、打率3割達成と衰え感じさせながらも優秀な成績を残した。しかし1996年オフにFAで巨人に清原和博が入団したのに合わせて自由契約を自身から申し出る。

 

1996年のオフにヤクルトと日本ハムからオファーがあり日本ハムに入団。久しぶりのパリーグ復帰だったがすでに実力は衰え切っていたのか記録を残すことはできずに、1998年に自由契約で引退した。ちなみに日本ハム所属時にも規定打席到達を成し遂げておりこれは日本プロ野球史上最年長記録である。なお成績。

 

そこからは解説者などをして活動していたが2003年オフに中日ドラゴンズに監督として就任することを発表した。ちょうどこのゲームの発売日の直前くらいである。

そこからの活躍は2003年以降の事なので割愛。

 

あまりにも多くのエピソードがある人物なので各自ネットの海で探してください。