Sランク 捕手
国内新人選手Sランク捕手リスト
出身地 関東 
成長 普通 
持続 遅め

初期値   
 
初期値でかなり完成度の高い新人である(補正ありだが)


全盛期評価

実際では問題視されていた捕手としての能力は全く問題ないものに成長。最大の魅力は打撃であることは変わりないがそれも十分な能力に。普通に優秀な選手と言える。


成長遍歴【初期値→スタメン定着→全盛期→衰えピーク】


ゲーム中の成績【特筆すべき成績と通算成績など】

HRのキャリアハイ。この年から4年連続40HRを打つなど現実以上の成績を残した。



通算成績も打率と安打以外は現実と似たようなものか?

 

私的評価【野手】

打撃A 守備B 走塁E  コスパC  即戦力A 
活躍期間~16年 

総合評価 A

打撃に関しては超即戦力の捕手という珍しい立ち位置の選手。捕手の守備能力も試合で使っていけば30歳になる前くらいには優秀なものになっていくので試合で成長させていくのがいい。同世代の二人に比べて新人で一番取るべきなのは田淵幸一であるというのは面白いが。現役で活躍できる期間も長く総合的にみるとかなり優秀な部類に入るので是非とも逆指名を狙おう

 

やきゅつく2003選手リスト一覧

この選手について

田淵幸一 日本プロ野球記録様

新聞記者の家庭に生まれ裕福な家庭で育った田淵は中学生の時に野球をはじめる。高校でも法政大学第一高等学校に入学するも甲子園の出場経験はない。大学は法政大学に進学し3年生時にはリーグのHR記録を更新し高橋由伸に破られるまでリーグ記録として残り強打の捕手として頭角を現しドラフトの目玉であった。

本人は在京球団を志望、巨人と相思相愛といえるほどであったが1968年のドラフトで阪神タイガースに1位指名を受けて入団。当時は広島に山本、阪神に富田勝、巨人は田淵という地元出身の選手を指名すると予想されていたが阪神は巨人に対し過去の遺恨からくる「意趣返し」として田淵を指名。三角トレードも企画したが阪神が拒否しそのまま入団することになる。まぁこの時はぎりぎり森昌彦が巨人にいたのでそっちの方がよかったと思うが

 

一年目から強肩強打、捕手として俊敏な動きを生かし22HRを放ち捕手として初の新人王を放ち阪神の歴史上数少ない和製大砲と期待される。しかし2年目の8月の広島戦。当時広島のエースであった外木場義郎から頭部死球を受けて昏倒。耳から血を出し血の色をした泡を吹いたまま病院に直行。命に別状はなかったがこの死球がもとで聴力の低下と肥満体系(内臓の病気に対する薬の副作用)になるという事態を招いてしまう。しかもこの死球の前に新品のヘルメットを注文しておりそれが届く前に限ってこういう事態になってしまった。しかしながらそんな事が有っても田淵はHRを量産。入団してから毎年2桁HR、1972年から5年連続30HRを記録。チームに欠かせない主砲として依然と活躍し続けた。

 

1978年のシーズンオフに西武にトレードされるがその時に阪神の対応が非常にまずいもの(功労者に常時発動するスキル)であり世間を騒がせた。広岡達朗監督のもと体質改善につとめ生まれ変わった西武ライオンズに欠かせない選手として活躍。第一次西武黄金期を代表する選手として活躍した。1984年を最後に引退した。阪神に在籍したシーズンは10シーズンだけだがチーム通算打撃成績のほとんどでランクインするほどであり3代目ミスタータイガースと呼ばれていたにふさわしいものを今でも見ることができる。

西武に移籍してからも40HRを打ったりと大活躍だった。

 

引退後はコーチ経験もないのに監督をやっていたりしたが結果が伴わずに退任したり、盟友星野仙一が監督を務める際には打撃コーチを務めていたりと指導者として活躍。コーチとしては阪神時代は優秀であった。

 

今ではよく使われる「アーチスト」と呼ばれたほどの当時球界を代表する打者であり王貞治の次に本塁打率が良かった(300HR以上打った選手に限定)。

さらに2年目のけが以降は毎年の様にケガやアクシデントに泣かされていたにもかかわらず毎年2桁HRを放っていたので、ケガさえなければ…病気さえなければの代表格にもなっている。それでも狂った成績だと思うが。

 

これからは解説者としての活躍を期待したい。