やきゅつく2003の能力を見ていると妥当だと思う能力と不相応と思う能力が色々あると思う。ゲームだと強いけど現実ではどうなのか?その逆もまたしかり。そこでこのシリーズでは能力と残した記録がどこまで関係するものなのかを考えていきたい。

 

①現実での記録(打率)

というわけでいつもお世話になっている

 

こちらのサイトから歴代シーズン別の最高打率のランキングを拝借しました。それがこちら

1位 バース .38852 1986 
2位 イチロー .38734 2000 
3位 イチロー .38462 1994
4位 張本勲 .38344 1970
5位 大下弘 .38318 1951
6位 クロマティ .37813 1989
7位 内川聖一 .378 2008
8位 川上哲治 .37701 1951
9位 中根之 .37634 1936.秋 
10位 ブルーム .37406 1962
 

まぁ見ていただければわかるがそうそうたるメンツである。

神と呼ばれた助っ人、日本史上最高の選手、安打製造機、青バットで親しまれたスラッガー、巨人最強助っ人などなど選手名を見ただけであだ名が思いつく程度には有名である。

バース、イチロー、張本勲、内川聖一あたりは有名すぎて若い人でも知っているだろうし、昔から見ている人であればなおさらなので割愛。どちらかというと若い人向けに書いていきたいのでそれ以外で
 

となると、気になるのは5位の大下弘。

戦後間もない1946年に24歳でデビュー。最初の球団はセネタース。戦前戦中の日本野球ではHRは出ても8本くらいで最高記録は日本最初の三冠王中島治康、南海ホークスで選手監督の両面で大活躍した鶴岡一人が記録した10本であるのだが(試合数の関係ももちろんある)、戦後間もないころの劣悪な環境と道具でありながら104試合で20HRを放つという異次元の活躍を見せた。その後も30HR以上を記録するなど戦後間もない野球界の大スターであった。しかし…

3ではモデル選手が出てくる

1951年成績 .383 26HR 63打点 123安打 89試合

 

6位のクロマティは最近YouTubeで活動しているらしいのでこちらも有名か。巨人でNPBデビューした生え抜き外人?の中では最高の実績を残した助っ人であり首位打者も獲得しているが、バースが狂った成績を残した86年には.363という高打率で首位打者を逃すという災難にも見舞われた。ちなみにこれは首位打者を取れなかった選手の最高打率である。

1989年成績 .378 15HR 72打点 124試合

 

7位を飛ばして

8位の川上哲治。これも野球史に残る超がつくほどのビッグネーム。1938年という戦前に巨人に入団。投手として入団したが打撃で本領を発揮していた。戦争で一時離脱するが復帰後は巨人の4番として活躍し史上初の一塁手ベストナイン、史上初の2000本安打を達成など数々の偉業を成し遂げた。監督としてもV9時代の巨人を演出するなど選手としても監督としても偉大な野球人であり、野村克也もプロ以前は川上に憧れるほどの選手であった。5位の大下と対照的に赤バットを使用していたことも有名な打撃の神様である。今作では出ないが自作の3以降ではモデル選手として赤沼という名前で出てくる

 

1951年成績 .377 15HR 81打点 97試合

 

9位は中根之(なかねすすむ)

タイトルが作られた1936年、NPB史上初の首位打者になった選手であり名古屋軍(中日の前身?)、イーグルスの主力として活躍した。ちなみの1936年はHR0であったのでHR0の首位打者という珍記録を残している。しかし長打率は.400を超えているので現代で考えれば長打も打てたのだろうが試合数が少ないので何とも言えない。ちなみに後年色々あったらしく野球と完全に縁を切った影響で没年不詳らしい。ちなみに生きていれば111歳である(2021年現在)

 

10位はジャック・ブルームフィールド

登録名はブルーム。近鉄と南海で活躍した助っ人選手である。1960年に28歳で日本デビュー。3年目に残したのが上の打率である。この年は2桁HRを記録し、当時クソ雑魚ナメクジだった近鉄が誇る優秀な打者として活躍した。エピソードもあり、外角打ちやドラッグバントの上手さには定評があり、外角打ちの極意を張本勲に教えたり、逆に内角打ちの極意を野村克也に教えたりなど当時の野球界でも屈指の技術を持っていたと思われる選手である。

 

②今作の巧打S選手とその理由の考察

と長々とウィキペディアを見ながら書いた文章を読んでもらったところでここまで上げた選手で本作に出てくるのは

バース、イチロー(ツヅキ)、張本、クロマティ、内川(覚醒前)である。この中で内川以外は巧打Sになる能力を持つ選手なのでこれには文句ないだろう。しかし今作では他に若松勉、新井宏昌、落合博満など、あとほんの少々ではあるが巧打Sになる選手が存在する。その線引きを考えていきたいのである。しかし能力を下げるのは可哀想なのでそれはしないものとする。

 

ちなみになぜ今回の記事を作成するにあたって10位までに区切ったかというと、これ以降のシーズン打率記録は.360台になるからであるのと、11位である谷澤健一(.36941)が今作だと巧打Aで止まってしまうのである。

 

なるほど、つまり谷澤は打率.369だから巧打SじゃなくてAなのねと思いたいところであるが、それだと当然矛盾が出てくる。

まず一つに、この打率をシーズンで一度も越したことのない若松勉が巧打Sにいくこと、そして落合もそうであるのに巧打Sになることの説明がつかないのである。そこでごちゃごちゃと考えてみる。

 

若松勉は記録大好きなあたおかな人であれば一度は目にしたこともあるだろうが、この方は通算打率(6000打数以上)でトップの.319の記録を持つからである。若松は一年目からいきなり打率.300を記録し4年に一度ずつ二割台を記録しているが大体の年レギュラーであれば打率3割だという狂った成績を残しているので妥当である。が、それは初期値を高くすれば再現できるので、通算打率一位の威光が巧打Sという設定をもたらしたのではないかと考える。

私としては別にSでも一切文句はないです(必死の弁解)

 

落合博満は内川が更新するまでNPB史上の右打者で最高打率.367を記録し、三冠王を三回記録するという初心者でもわかりやすい狂った成績を残したやべーやつである。でも記録だけ見れば巧打Aでいいとも思うのだが選手としての特徴が巧打Sの説得力を出すのである。落合は右打者かつ鈍足のイメージがあるという選手の特徴がある。シーズン最高盗塁は8個。(あれ、意外と走ってる)体型からしても俊足には見えない。そこが巧打力を考える時に大事であると思う。バースはまぁともかくとして、イチローや張本は盗塁に関しても記録を持っているほどの俊足の選手としても知られている。要するに内野安打を狙える可能性があるのでその点も考慮するべしなのだが。落合だとその可能性がほぼない。

さらに落合のすごいところ、かつ巧打Sでも納得できる理由としてこの.367を記録した年なんと全試合出場である。他の選手だと出場試合数が少ないというのがつきものであるのだが、落合はそんなこともない。自身の能力だけでつかみ取った成績であり巧打Sでも文句はないだろう。

 

ここから書く文章は悪口を言う様で気が咎めるが

谷澤が記録した1980年の.369は先ほどの落合と比べると、試合数、HR、打点、併殺の多さなど大体の指標で落合以下である。リーグの違い、対戦投手のレベルの違いなどももちろん考慮すべきだが、試合出場数や打数などの影響を考えると谷澤の巧打Aは文句言えないのかなと思ってしまう。ちなみにこの年(ここから修正)ではなく1976年の(修正終了)谷澤の首位打者は張本との超がつくほどのデッドヒートの結果.00006(6糸)の差で首位打者になった年である。

…あの張本に勝ったから巧打Sでよくね?

 

というわけでごちゃごちゃ書いてきたが

やきゅつく2003で選手の巧打力を語るときはその後の記録を見ていくと、↑でひっそりと書いた新井宏昌の能力とが.365と184安打の記録を残した1987年を基準に考えると巧打Sの資格があると考えられると個人的には思う。これは歴代16位の打率である。とすると該当選手は上記以外だと

岡村俊明(近畿日本)、ローズ(横浜)、広瀬叔功(南海)

までは巧打Sでも文句ないと思われる。

 

ちなみに

17位 加藤英司 .36384

ここからは巧打Aにしたらいい感じになるのではと考えました。

 

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