タラオはイクラに誘われるまま、路地裏の雑居ビルに入っていった。 
エレベーターが壊れているので、薄暗くて細い階段を二人で縦に並んで上がっていく。 

「ねえ、一体何処に行くんだい?」 
 
タラオはとうとう不安に耐えられなくなって、前を進むイクラに聞いた。 
イクラは何も答えずに、黙々と階段を上がっていく。
「もしかして、タラオ君か?」 
 
フグ田タラオは不意に声を掛けられて振り向いた。
何処かで見た事がある顔の青年が立っている。
ブランド物のスーツに身を包んだ彼は、よく見ると三年前に行方不明になったはずの波野イクラだった。 

「イ、イクラ君?」 
「覚えててくれたんだぁ。嬉しいなあ」 
 
波野イクラは相好を崩した。 

君の香りが俺を誘ってる。

さっきから、もうずっと我慢してるんだけど、そろそろ限界に近い。

電車ってさ、好きなんだけど、こうも人が一杯だと辛いって。

密着した体に、神経が集中してしまう。
君が息苦しそうに漏らした声が、俺に変な事を連想させる。

「平気?」

俺はちらっと下に目をやって、押し潰された彼を見た。

「う、うん…はぁ…っ大丈夫だよ」

人口密度が高くて、体温が上昇しているのだろう。

彼は頬を赤くして、大きく息を吸い込んだ。

その妙に色気を含んだ仕草に、俺の鼓動が突き動かされたように早くなる。

もうダメだ。

元々俺はそんな大層な理性は持ち合わせていない。

腰に回していた腕が、ゆっくりと、撫でるように動いてしまった。

彼の体がビクンっと小さく跳ねる。

バレたかな?

彼は体を硬くして、両腕で口元を押さえ、俯いている。

ますます赤みの掛かった頬に、思わず俺の口の端が上がる。

ああ、こんな事しちゃいけないとは思うんだけど。

健気にイタズラに耐える彼が可愛い。

俺がズボンの中に指を滑り込ませると、硬直した体を震わせている。

彼はいつも複雑に色々な事を考えている。

今も、きっとそうだ。
最悪の想像をアレコレ浮かべて、何も出来ずにいるのだろう。

彼のうるさいくらいに高まった心臓が、服越しに伝わる。

頬には冷たい汗が浮かんでいる。

怖がってる、怖がってる。

実際、バレた時の事を考えると俺の方が怖いんだけど。

俺は電車の音も聞こえなくなるくらい神経を集中して、彼の肌を確かめるように指を動かしていった。

滑らかで、手に吸い付いてくる。
彼の白い肌。

ああ、やめられない。
止まらない。

「……ひぁっ」

我慢出来なかったのだろう声が、彼の小さな唇から零れた。

車内中に響いてしまったのではないだろうか、と言う程不安な顔をして、彼は俺の服の裾を握り締める。

大きく音を立てて走る電車の中で、俺にすら聞き取れるかどうかの声なのに。

その姿に、俺までドキドキしてしまう。

息を荒くして、目を潤ませた君、プラス、ちょっとした罪悪感が、俺の心を煽る。

これ以上、興奮させないでくれよ。

急に、彼は俺に抱き着くように、腕を回してきた。

思わぬ行動に、嬉しくて顔がにやけてしまう。

「何?」と小声で訪ねながら、それでも、彼の怒った時の様子を想像し、体に緊張が走った。

固く閉じた奥を摩るように愛撫する手を止めずに、彼の出方を待つ。

「ね…ぇ…」

彼は切れ切れに、俺を呼んで、抱き締める手に力を込める。

もしかして、もうバレてる?

さっきとは違う意味でもドキドキしながら、俺は彼の顔を覗こうとした。

しかし、彼は顔を俺の胸に押し付けたまま、中々上げてくれない。

「…どうした…?」

その瞬間、キーッとブレーキの音がして、電車が大きく揺れた。

俺は彼のズボンから慌てて手を出し、抱き寄せて体を支えた。

すると、彼は突然顔を上げ、驚いたように、大きく目を開け俺を見た。

俺はその仕草を疑問に思いつつも、開いた扉に、慌てて腕を取り、電車を降りた。

「お前だったの?!」

ホームの隅で、第一声に大きな声で言われて疑問が解ける。

ああそっか。
ズボンから出した手でそのまま抱き寄せちゃ、バレるよな。

「……っっっ」

わなわなと真っ赤になった彼に、俺は「しまった!怒られる!」と身を縮めた。

…なのに、落ちて来たのは、ボロボロと零れ落ちる涙。

「ちょっ…?」
「良かった」
「へ?」
「お前で…良かった」

怒るより先に表れた安堵。

「お前以外の人に好きなようにされてると思うと、怖くて、申し訳なくて…。本当に、お前で良かった」

優しく笑ったその顔に、呼吸が止まった。

あ、ダメ。

今がきっと人生の頂。
もう、このまま殺して下さいな。

俺は自分が何処に居るのかも忘れて、間違いなく世界で一番可愛いその人を腕の中に掻き抱いた。

〈完〉