父の言葉は、なぜこんなにも重く子供の心にのし掛かるのか。
日本で今も続く独特な習慣ー親は死ぬ間際に、子に意思を託す。子は、その言葉を生涯、永遠に胸に誓い生きていく。
これは、美談なのだろうか。美談にしていいのだろうか。
私は、こんなものは親のエゴであると言いたい。死ぬ間際に、より良い死を迎えたいがために、自分のいた痕跡を残すために、子供が自分のことを忘れないために、子供を使用しているのだ。
私がなぜこんなことを言っているのかと言うと、先日父から一通の電話が届いた。「自分の会社はお前に継いで欲しい。そして兄弟たちの面倒をずっと見てほしい」と。
私は今海外に住んでおり、高校を卒業してからは私たちは年に2回ほどしか会わない。そのためか、家族とは一体なんなのだろうと考えることが多くなった。
私の経歴を少し話そう。中学3年の時、一番仲の良かった親友がイギリスに行ってしまった。高三になって、ある事件が起きて日本にいたく無くなった。日本の大学は受験せずに、知り合いの誰もいないオーストラリアだったが、英語圏というのもあって留学をする。現在20歳。
私は自由を求めてここに来た。日本を飛び出した。父の言葉は、つまり、私から自由を奪うのだ。それが本当の「愛」? わからない。私の父は、死ぬのが怖いのだろうか。私は三人兄弟の末っ子である。まだやりたいことが沢山あるのだ。20歳なんだ。
私から自由を奪わないでほしいと思うのに、彼らは家族なのだ。家族というだけで、特別になる。味方になる。家族の絆は強い、それでいて脆い。
私は結局父の言葉に従うのだろうか。私は中身の無い、空っぽの人間だ。