哲学が先か?基礎技術が先か? パート2
どうも、新米サッカー指導者です笑間が空いてしまいましたが、前回の続きです!前回はサッカーでの哲学について話しました。哲学について考えてみると〝チームとは何なのか?″〝練習とは何なのか?″ということまで発展してしまいますこれは私の推測なので断言はできないのですが、今の日本の指導者はただいいとこどりをしているだけなのではないのでしょうかすぐに世界中の情報がすぐに手に入れられる昨今、私たちはその膨大な情報の中に埋もれてしまっているのではないでしょうか?取捨選択をすることなく、ただバルサやレアルのような一流チームの練習をただ模倣している。そのような現状であるように思えてしまいます。つまり、指導者側(orチーム)が哲学なしに練習をさせる・・・・子どもたちはさせられているでは、哲学とは何なのか?それは、物事を判断する〝ものさし″ではないでしょうか?膨大な情報の中から取捨選択するためのものさし。。。。膨大な情報に埋もれないための物差し。。。。。。。例えば、、、言っていることが二転三転する指導者を信じることができるでしょうか?情報に振り回されて変わっていく指導者の言葉のどれを信じればいいのかわからなくなってしまうと、子どもたちがその指導者の言葉という情報に埋もれてしまうのです。そんなことでいいのでしょうかここで、タイトルの言葉について考えてみましょう基礎技術は確かに大事です。では、なぜ基礎技術が大事なのか説明できるでしょうか?国学院久我山高校の総監督である李済華さんは基礎技術を〝ミスをするリスクを減らす技術″と考えています。私は〝プレーに余裕を持たせる技術″と考えています。比べるのも恐れ多いですが一応私も哲学、というか考えは持っています。では、子どもたちはこのような哲学を持っているでしょうか?ほとんどの子は持っていないというかわからないのではないでしょうか?(あくまで推測です!)それなのに指導者側が、哲学もなしに〝基礎技術は最も大事なんだ″と頭ごなしに言ってしまっていいのでしょうか?※正直基礎技術に対する考えはチームというより日本サッカー全体で考えが一致してほしいですね(オランダではビルドアップに関しても国として考えが画一されているらしいです)基礎技術一つにも考え(哲学)がある。だったら、練習にも当然哲学が必要です模倣することはだれでもできます。ただ模倣するだけでなく、そこに意味を持たせるのが私たち指導者の役目です。様々な練習法が世間に出ている今だからこそ、ただ闇雲にいいとこどりをするのではなく、価値(意味)を見つけ、判断し、選び出すことが大事になってくるのではないでしょうか