そんなこんなで、先輩達の見学からスタートし、怖い課長の会議に怯えながらも先輩に楽しい飲みに連れて行ってもらいながら、私が中途入社した2014年度が終わりを迎えようとしていた。

怖い課長はやり手であり数字にも課として困っていなかった為、いい雰囲気で年度末を迎えていたのを覚えている。


そんな時だ。


2015.2末。

私が急に会議室に課長から呼ばれる。


課長「はい、異動ね〜」


私「え、、?」


課長「どこだと思う?」


私「っ、、、え、、東京?大阪ですか?(混乱)」


課長「福岡支店の第4課だよ、支店内異動。びっくりした?あはは!」


そんなこんなで私は、入社して4ヶ月を過ごした部署を出て隣の隣の課に異動することになった。


※ここから、私の人生の地獄、試練が始まる。


ここの課長は無口でいつもむすっとした顔をした徳田さん。この人が私にこの会社から出ていく決心をさせることになる。


2015.4 私は徳田課長のもと、正式に一人の営業マンとして業務をスタートさせた。もう教育係の先輩もいない。


‥‥‥‥。

お気づきの読者さんもいると思うが、そう、無理なのだ。

半年前まで、大卒後に倉庫の掃除しかしたことがない上に、4ヶ月前に入社して先輩の仕事の見学だけしてきたひよっこだ。一人前どころかなんの戦力にもならない若造だった。


私は特に徳田課長から担当の企業を持たされるわけでもなく放置されていたため、なんとかしようと新規飛び込み営業を繰り返した。新規飛び込みは性格上苦にならず、分からないなりに営業して、福岡県内で何社かの結果も出たのだった。


が、私はこの時点では気づいていなかったが、既に私の支店での評価はどんどん悪くなっていっていた。

要するに、


「大した担当先もなくて暇してるんだろう。数字も大して出さないしあいつはずっとサボっているんだろう」


という評価だった。

当時のこの会社の福岡支店は非常に空気が悪く、性格の悪いマネージャーが多い暗い支店だった。

いま、私が振り返ると、ただの世間知らずの24歳の若造に大した顧客を任せず、教育もせずに放置していた徳田課長には目を向けず若造を全員してバッシングしていた大人達はどうなのか?と思うが、、、。


そんな風に周りから思われてると知らない私はこのまま結果は出なくても頑張るぞ!と意気込んでいつも新規飛び込みに勤しんでいた。何も教えてもらえないので結果に繋がらなくても新規飛び込みをやっていれば良いんだ、これが私の仕事なんだ!と本気で信じていた。

そんな風に数ヶ月が過ぎたと思う。


そんなのんきな私を徳田課長は既に嫌いはじめていた。

2015.8月の夏だったと思う。

支店から北九州市のお客様のもとへ11:00アポで徳田課長と同行に行く約束をしていた。

※この頃から既に徳田課長の私への嫌いオーラは出ており、お互い会話の数は減っていた。周りは、徳田さんも変わった人だから、、と何故、私が嫌われオーラを出されてるかも教えてはくれなかったのであまり気にしないようにしていた。


女性の事務スタッフと09:20ごろまで打合せをして、そろそろ出発かと思い、徳田課長に声をかけようとしたその時である。既に徳田課長は支店を出発していたのだ。ホワイトボードに『外出中』の文字がある。

すぐに徳田課長に電話したが出ない。


それから2回立て続けに電話をかけた。

出ない、、、。


私は何か心の中でぷつんと切れてしまったのが分かった。よくわからないが嫌われており、同行の約束をしていたのに置いていかれた。


会社でこの様な仕打ちを受けたのも初めてだった。

私は目の前が真っ暗になって支店に残って一日を過ごしたのだった。


続く