胃からチューブを入れ、栄養の取れない私に産科の先生が鎖骨下からチューブを入れ栄養を取れるようにしようと試みた結果、血管に穴が空き失敗。ちょー痛かったし、苦しかった。かなりの脱水状態の私には無理でした。
その後腕からカテーテルを入れ、血管の太いところに直接栄養を入れる点滴をされた。その時の私の体は極度の脱水により抗がん剤治療してる老人の何倍も難しいと言われる。採血はもちろん太ももの動脈から。めちゃめちゃ痛い。1時間くらい動けない泣
胃カメラの検体の結果が出た時には胃がん、リンパと腹膜に転移あり。ステージ4で平均余命1年と告知された時には、あー私死ぬんだって思った。
お腹の赤ちゃんは順調でお腹も蹴る位威勢がよかった。でも諦めざるを得なかった。栄養取れないし、これから抗がん剤が始まる。どんな影響が出るかわからない。産んだ子は男の子だった。火葬には無理を言って立ち会わせて貰った。涙が止まらなかった。
辛いことが起こりすぎて、もぉ頑張れないと思った。皆子供のために頑張れとか言うけど負担だった。こんなに痛く、苦しく、悲しむために生きてるんじゃないって緩和チームの先生に弱音も吐いた。早く死にたいと思った。チームの麻酔科の先生に死ぬ時はポックリいかせてくださいと頼んでいる。
通常うちの大学病院は手術まで二三カ月待ちなんてザラですが、私は食べられない状態で何とか食べさせるためにとバイパス手術をする事に。告知3日で緊急手術でした。
手術後に言われた余命は実際よりも短く、8ヶ月と言われた。私は子供の頃に小児がんのウイルムス腫瘍で左腎摘出の上、腸も80センチほど切っている。手術したけど食べられないし、お腹の中はひどい状態だったと。開けた瞬間にこのまま閉じるかバイパスやるか話し合いになったそうな。でも患者の希望は食べたいとのことだからやろうと無理にしてくれたらしい。
少しでも早く抗がん剤始めた方が良いと言われ、めちゃくちゃ吐きながらも薬TS1の服用開始。その間に東大病院へセカンドオピニオンを受けに行った。子供と少しでも居られること、外に出れることが嬉しかった。治療はとても興味がもてたが、千葉在住の私が東大病院で入院、何かあった時に通院も大変だし、今の所で診てもらう事を決意。治験に参加したって余命がたかが1年延びる程度ならいいやって思った。
続く