長引くコロナ。観たい映画もずっと我慢していた。
ちょっと前に観たいと思ったのは「Drive My Car」と「ハウス・オブ・グッチ」
そのころ丁度スケジュールが空いて
検索したら、一番近いところはやってない。
次に、ユナイテッド シネマでは、グッチは8:15分開始
アウト。
Drive My Carは11:15
これしかないと思い、
映画に行ってくる!と宣言。旦那をおいて自分の楽しみで出かけるのはとっても苦手で気後れしてしまう。
座ってしばらく経つと背中が痛くなってしまった。
最近は寒くて、エコのため早くから布団に入るので寝る姿勢が一番楽になってしまった。こりゃやばい。
そういえば昔、長い映画「シンドラーのリスト」を観たときもそうだったなあ。あれは最高に長かった。
もう学生には戻れない。じっと座って授業を受けるなんてできないとしみじみ思った。
丁度上映時間中に平野歩夢くんたちの決勝があるのですいているのかと思ったけど、結構入っていた。
シニアが多かった。
夫婦できている人たちは隣同士の席だけど、一人の人たちは一つおきの席だった。
今まで我慢してきたのに、これで感染したらやだなあと思いながら・・・・
この原作者は毎年ノーベル文学賞の候補と言われている村上春樹。
私には、この人の本は難解で積読状態になってしまう。
彼の原作をどんな風に表現するのかと思った。
観てよかった。何がよかったかよくわからないけれど、
カンヌで受賞したり、今度はアカデミー賞の候補になったりしたのはわかる気がした。
舞台監督が英語堪能で、台本を読み合わせるのが英語、韓国語、手話だなんておそらく日本発の原作ではありえない。
広島での演劇祭のスタッフを演じた韓国の俳優とその妻を演じた人がなかなか良かった。
映画の中でチェーホフの劇が進行するのだけど、(ロシア文学苦手でチェーホフなど名前しか知らない)映画の冒頭に西島演じる主人公とその妻のベッドシーンとその時に妻が物語を語る、愛し愛されているその妻と若い俳優の不倫場面、劇を作り上げる場面の他は、スタッフが用意した主人公の女性ドライバーとの車中の場面が主。
今時には珍しい、とにかく煙草を吸う場面が多かったな。
主人公夫妻の遠い昔亡くした娘が生きていればちょうどこのドライバーの娘の歳。
進むにつれて乗るのが後部座席ではなくやがて助手席になる。
最初は、「ハイ」「いいえ」くらいしかなかった運転手のこの女性がどうして運転がうまいのかということを聴いて過酷な女性の過去を知る。
そして妻の相手だった岡田将生演じる主役が傷害致死の罪がわかり、公演を中止するか彼自身が演じるか返事を出す猶予の2日間で、運転手である彼女の運転で北海道の彼女の実家をみたいと津軽海峡を渡る。
互いに、「帰るのをわざと遅らせずもっと早く家に帰っていたらクモ膜下で倒れた妻は助かったかもしれない。愛していた妻を殺したのは私だ」「母を助けようとしなかった。私が殺した」という二人。
彼は主役を務め舞台は盛況のうちに終わった。
最後に、彼の大切な車「サーブ」で買い物に来た帰りなのかその車に乗る彼女が。韓国のスーパーのようだ。車内には大きな犬がいる。ナンバープレートは韓国のだ。
ここで終わる。
14歳の時から母の中に別人格の妹(だったか女の子だったか)が現れるようになり、その母から虐待を受けた後に現れるその子(母)に救われ愛した彼女。土砂崩れの時、母と同時にその子も失ってしまった彼女。
彼と同じように愛する人の死から逃れられなかった彼女が
見たことのない明るい顔で韓国ナンバーの車を発進した。この先は観客の想像にお任せでしょうね。
この俳優さん、「三浦透子さん」まったく知らなかった。
と思ったら、
今の朝ドラの二人目のヒロインの昔の恋敵だったお茶の先生一子さんの娘役、ひなたの同級生として今週から登場していた。私には目がそっくりな俳優さんが浮かんだ。田畑智子さん。昔のNHK連ドラ「わたしの青空」の主演女優さん。
私は声フェチで、西島さんの声はとても好き。鼻はどうしてもだめだけど(笑)
この映画が外国で評判がいいのは、言葉はわからなくとも彼の声で通じるものがあるのだろうと書いている方があった。車から流れる棒読みのセリフも大きな意味があるようだ。
この映画はいきなり音が消えて、観客がしわぶきひとつ、身じろぎ一つない見事な静寂の中、その静寂に焦るくらいの場面もあった。
かなり音というものにこだわっている映画だと感じた。
一度見たくらいでは何が言いたかったってわからないけれど、「再生」ということなのかなどと思ったりした。
グッチの方は、今も刑に服している主人公のモデルが、「ガガが挨拶に来ない」と言っているそうだ。
すごい人だったんだなあと思った。
そしてまだ生きている人を映画にしちゃうアメリカって国の自由というかなんというかやっぱり日本とはちがうね。
ちょっと前に観たいと思ったのは「Drive My Car」と「ハウス・オブ・グッチ」
そのころ丁度スケジュールが空いて
検索したら、一番近いところはやってない。
次に、ユナイテッド シネマでは、グッチは8:15分開始
アウト。
Drive My Carは11:15
これしかないと思い、
映画に行ってくる!と宣言。旦那をおいて自分の楽しみで出かけるのはとっても苦手で気後れしてしまう。
座ってしばらく経つと背中が痛くなってしまった。
最近は寒くて、エコのため早くから布団に入るので寝る姿勢が一番楽になってしまった。こりゃやばい。
そういえば昔、長い映画「シンドラーのリスト」を観たときもそうだったなあ。あれは最高に長かった。
もう学生には戻れない。じっと座って授業を受けるなんてできないとしみじみ思った。
丁度上映時間中に平野歩夢くんたちの決勝があるのですいているのかと思ったけど、結構入っていた。
シニアが多かった。
夫婦できている人たちは隣同士の席だけど、一人の人たちは一つおきの席だった。
今まで我慢してきたのに、これで感染したらやだなあと思いながら・・・・
この原作者は毎年ノーベル文学賞の候補と言われている村上春樹。
私には、この人の本は難解で積読状態になってしまう。
彼の原作をどんな風に表現するのかと思った。
観てよかった。何がよかったかよくわからないけれど、
カンヌで受賞したり、今度はアカデミー賞の候補になったりしたのはわかる気がした。
舞台監督が英語堪能で、台本を読み合わせるのが英語、韓国語、手話だなんておそらく日本発の原作ではありえない。
広島での演劇祭のスタッフを演じた韓国の俳優とその妻を演じた人がなかなか良かった。
映画の中でチェーホフの劇が進行するのだけど、(ロシア文学苦手でチェーホフなど名前しか知らない)映画の冒頭に西島演じる主人公とその妻のベッドシーンとその時に妻が物語を語る、愛し愛されているその妻と若い俳優の不倫場面、劇を作り上げる場面の他は、スタッフが用意した主人公の女性ドライバーとの車中の場面が主。
今時には珍しい、とにかく煙草を吸う場面が多かったな。
主人公夫妻の遠い昔亡くした娘が生きていればちょうどこのドライバーの娘の歳。
進むにつれて乗るのが後部座席ではなくやがて助手席になる。
最初は、「ハイ」「いいえ」くらいしかなかった運転手のこの女性がどうして運転がうまいのかということを聴いて過酷な女性の過去を知る。
そして妻の相手だった岡田将生演じる主役が傷害致死の罪がわかり、公演を中止するか彼自身が演じるか返事を出す猶予の2日間で、運転手である彼女の運転で北海道の彼女の実家をみたいと津軽海峡を渡る。
互いに、「帰るのをわざと遅らせずもっと早く家に帰っていたらクモ膜下で倒れた妻は助かったかもしれない。愛していた妻を殺したのは私だ」「母を助けようとしなかった。私が殺した」という二人。
彼は主役を務め舞台は盛況のうちに終わった。
最後に、彼の大切な車「サーブ」で買い物に来た帰りなのかその車に乗る彼女が。韓国のスーパーのようだ。車内には大きな犬がいる。ナンバープレートは韓国のだ。
ここで終わる。
14歳の時から母の中に別人格の妹(だったか女の子だったか)が現れるようになり、その母から虐待を受けた後に現れるその子(母)に救われ愛した彼女。土砂崩れの時、母と同時にその子も失ってしまった彼女。
彼と同じように愛する人の死から逃れられなかった彼女が
見たことのない明るい顔で韓国ナンバーの車を発進した。この先は観客の想像にお任せでしょうね。
この俳優さん、「三浦透子さん」まったく知らなかった。
と思ったら、
今の朝ドラの二人目のヒロインの昔の恋敵だったお茶の先生一子さんの娘役、ひなたの同級生として今週から登場していた。私には目がそっくりな俳優さんが浮かんだ。田畑智子さん。昔のNHK連ドラ「わたしの青空」の主演女優さん。
私は声フェチで、西島さんの声はとても好き。鼻はどうしてもだめだけど(笑)
この映画が外国で評判がいいのは、言葉はわからなくとも彼の声で通じるものがあるのだろうと書いている方があった。車から流れる棒読みのセリフも大きな意味があるようだ。
この映画はいきなり音が消えて、観客がしわぶきひとつ、身じろぎ一つない見事な静寂の中、その静寂に焦るくらいの場面もあった。
かなり音というものにこだわっている映画だと感じた。
一度見たくらいでは何が言いたかったってわからないけれど、「再生」ということなのかなどと思ったりした。
グッチの方は、今も刑に服している主人公のモデルが、「ガガが挨拶に来ない」と言っているそうだ。
すごい人だったんだなあと思った。
そしてまだ生きている人を映画にしちゃうアメリカって国の自由というかなんというかやっぱり日本とはちがうね。