※あくまで例え話である.

 伊藤詩織監督の問題を宝塚宙組パワハラ問題に例えるなら,被災者のご遺族が川人弁護士とのやり取りを無断で録音したうえに,あたかも「弁護士が依頼人である遺族の意向に従わなかったかのように歪めたストーリー」に音声を使用し,それをドキュメンタリー映画という商品として無断で公開しているようなものだ.

そんなことが起これば,ぶったまげる.明らかにおかしい.(これがもし,パワハラ行為者,理事長,会長らの隠し撮りであったら,是非はおいても心の中で「でかした」とは思うかもしれないが.)


※例え話であり,ご遺族はそのようなことは一切されていません.


 そして,パワーハラスメントの証言をしてくれた下級生やファンの女性の姿を隠し撮り,本人が特定可能な状態で放映したら,その後,証言し,遺族に協力した人々はどのような目に遭うか,2023年秋からの宝塚歌劇団の件を注視してきた人なら想像できるだろう.犯人探し(直ぐに特定される),そして,吊し上げ,からの疎外は免れないのでは?


※重ね重ねになるが,ご遺族はそのようなことは一切なさっていません.


 「タクシー運転や捜査員は勇気ある証言をした人々だから,個人が特定されても不利益を被ることはない」という理屈は,全てが善人のみで構成される社会であれば,正しいだろう.

しかし,実際の社会がそうでなく,中には公益通報者や裁判への協力者を炙り出し非難したり,制裁を加えようとしたりする人々がいることは明白であり,なるべく協力者らが不利益を被らないように配慮して然るべきだった.

そもそも,そのような善人のみの社会であれば,性被害もパワーハラスメントも起こり得ないわけで….

犯罪を無くすという大目標を達成するには,その前段階の小目標として,犯罪が起きた時の被害者救済が可能な社会を実現させる方が現実的だろう.


 筆者も超微力ながら被害者やマイノリティ支援に協力してきたが,何に対してどのように支援をすべきかを考え直す時期が来た気がしている.

特に,昨今の被害者支援の「推し活文化」の浸透と,被害者やマイノリティの救済のために他のマイノリティを蔑ろにすることも厭わない風潮には耐え難い.


 ちなみに,当該映画はまだ見る気にはならない.公開すること自体に加害性が指摘される映画を見ることは,この映画により虐げられた人々への加害に加担することのように思える.

「映画を見て是非を判断したら良い」などと呑気にのたまう人々とは永遠に平行線を辿ると思う.