6月末に宙組の大劇場公演が千秋楽を迎えた.

 パワーハラスメントを肯定する演者とファンを主体とした閉鎖的空間で,短いながら無事に初日から千秋楽までやり遂げ,自死事件隠蔽の成功例を得たようだ.


 昨年からの「宝塚宙組問題」で,筆者のような「マインド」の無いファンは宝塚ファンから脱落し,良識のある人々は音楽学校受験や劇団への就職を思い止まったものと思われる.

よって,今後の宝塚歌劇団および宝塚ファンは,これまでよりも悪い方に先鋭化し,懸念されてきた劇団やそのファンコミュニティの閉鎖性はより高まると予想する.

また,劇団員やファンの多様性も失われ,劇団とファン共々揃いも揃って,今をこの瞬間を楽しむために,宙組で起こった事件を忘れ,問題から目を逸らす方に向かっていく.

 次に劇団員が虐めやパワハラにより亡くなる事件が起こっても,今回の事件ほど声を上げるファンは残っていないのではないかと思う.


 東京公演でも,大劇場公演で実施した初日から千秋楽までの流れが繰り返されるだけで,宝塚宙組と特定されたパワハラ行為者(加害者)の件は当分新しい動きはないものと見ている.

 次に動きがあるとしたら,加害者らが退団発表をする時だろう.

加害者とて他のタカラジェンヌと同様に,遅かれ早かれ宝塚歌劇団を退団する(しなければ驚きである).


 それならば,なぜ加害者は直ぐに退団せず,舞台に立ってしまったのだろう,と戻れぬ地点を見てしまう.

劇団・遺族双方により正式にパワハラ行為が認定され,10人の行為者が特定された以上,舞台に立つことが加害者の身の潔白に繋がることは決してなく,「懲りもせず,故人や遺族を冒涜し続けている」という悪評を得ただけなのだ.




上記の記事に加筆するならば,

「現状で加害者が観客の前で行為を謝罪したり,追悼したりする資格は無い」=「そのようなものは不要」

という意味ではない.

普通であれば,仲間を失った組織がすべきことが宙組に置き換えると不自然であることが情け無い.


そして,せめて献花台は劇場に設置した方が良かったとは思う.

芸能ゴシップの枠にとどまらず,社会問題にまでなった事件だ.亡くなった団員に花を手向けたい人はファン以外にも大勢いるだろう.

尤も,「事件を忘れ,問題から目を逸らす」という劇団の方針とは相容れないため,実現することはないだろうが.