2024年7月1日(月)、前日に右足の踵骨骨折をし、ほとんど寝られずに迎えた翌日。

朝に身体を濡れタオルで拭いてなるべく清潔にして仕事に向かいました。

向かう と言っても、右足骨折ですので自力で運転できません。

普段はスクーター通勤でしたが、妻に送迎してもらうことに。

この日から平日全て妻に送迎。

普段は時間ギリギリを狙っての出勤でしたが、妻の仕事や子供の送り出しのタイミングもあり早めの出勤。

この点だけは、骨折して良くなったことかも。


ただ、毎日の送迎は本当に感謝です。

周りの支えがあって生きれていると強く感じました。


仕事の方は、激痛に耐えながらの全力授業でした。

何よりも松葉杖が慣れない。

短い気がして、少しずつしか進めない。

そして、我が仕事場には坂と階段しかない。。

授業中は松葉杖が邪魔になるので、教室内はケンケン移動。

自分も生徒も慣れないため、授業進度が遅くなるが今は期末考査1週間前。

目標進度があるので、そこは意地で授業を行う。


一番困ったのは、急な来客対応。

今後骨折のせいで多くの人に迷惑をかける。

大学の方の来客対応だけでも自分で対応しようと断らず対応しました。

ただ、丘の上にある校舎からふもとの校舎までの移動。

汗だくになって来客を迎え、話を聞くという、相手が気を遣う状況になってしまいました。。

まぁ記憶に残りやすいから良いか。

そんな感じでいつもの5倍くらい疲れを感じながら仕事をして、

この日は足専門のお医者さんの診察に行きました。


診察は昨日の見立て通り、右足踵骨粉砕骨折。

すぐ入院するか、翌週入院するか、とにかく安静にすること。

仕事も基本はダメですと。。(これは守れませんでした)

既に水ぶくれができており、右足は交通事故にでも遭ったのかという状態。

10日ほど安静にして、手術。

というわけで、翌週入院、11日後に手術の予定が組まれました。

術後は4〜6週間ほど入院と言われましたが、どうにか最速で退院させてもらえないかお願いし、術後問題無ければ1週間で退院できるとのこと。


お風呂は包帯が外せるなら入ってもよい。

水ぶくれは絶対に潰さないように。

基本は足を上げて、寝て過ごす。


入院手続きの説明を受け、帰宅。

この日はシャワーを浴びようと思ったけど、足が痛すぎて結局断念。

しっかり身体を拭いて就寝。

最初は痛くて寝れなかったけど、痛みより睡眠不足が勝り、

3時間ほどは眠れました。


2024年6月30日(日)に3000m障害を走り、水濠での着地に失敗したのか右足の踵骨を骨折しました。

 

 

 
 

 

 

 

最初は、捻挫かなと思っていました。

着地した直後から右足の踵(かかと)がパンパンに腫れており、

その後、走ろうとしたら踵が無い感覚で、右足で踏ん張れなくなり、同時に激痛が走りそのまま倒れ込みました。

医務室に運ばれて、処置をしてもらいましたが、痛みも引かず腫れも引かなかったため妻に迎えに来てもらい、救急外来で受診しました。

レントゲン、CT検査ですぐに踵の骨が砕けていることが分かりました。

今は、複雑骨折とは言わず粉砕骨折と言うようです。

診断は右足踵骨粉砕骨折。

翌日の月曜日に足専門のお医者さんが外来で来られるようで、すぐに予約。

シーネと包帯での固定をしてもらい、お風呂は包帯巻き直せるなら入ってもよいと言われ帰宅しました。

その日は、激痛のあまり風呂にも入れず、食事もゼリーなどしか食べれられなかったのを記憶しています。

夜中もほとんど寝られず、一階のリビングでうなされながら寝転がっていました。

寝れない中で、スマホを触りながら踵骨骨折がどのような怪我なのか調べました。

 

最初は、翌月に子供と一緒に出る予定だった100mの大会に出られないことが悔しかったけど、どうやら大会に出る出ないの問題ではなく、このまま一生走れない可能性があることを知りました。

その事実が精神的ダメージとなりさらに寝られず、ほとんど寝ずに夜が明けました。

あの時自分はどう思っていたのか。

客観的にあの頃を振り返るとどうなのか。

 

とりあえず、アウトプットすることで見えることがあるかもしれないので始めてみます。

 

 

始める理由はやはりこっちかな。

 

子どもが教師を目指した時の反面教師の材料として、父を踏み台として大きく羽ばたくための材料として記そう。

そう考えると、少しはまともな内容になっていくかな。

 

あとは、保護者が見ることも想定してかな。

 

案外これが最初で最後の投稿になる可能性もあるけど、とりあえず始めた。

何もしないよりはましか。