お久しぶりです

不妊治療ブログを読んで頂きまして

ありがとうございます

今日のブログは不妊治療を経て

妊娠出産した話しになります

妊娠出産のお話がお辛い方はご遠慮ください

お気持ちお察しします

ただ、不妊治療を経験したからこそ

感じた気持ち

出産した子どものこと

気になる方はぜひ読んでいただきたいです


まず久しぶりなので簡単に私たちのこと、

治療歴を交えながらお話しします


私🧸は2018年に8つ年上の旦那🐕と結婚しました

夫婦仲は良好です

結婚当初私は20代後半

旦那は30代でした

第一子を考えるようになり

避妊を止めたのは2020年の夏頃

すぐできると勘違いしていた私は

なんでできないんだ!?と

頭の中が妊娠一色になり

妊娠のことばかり考えるようになりました。

妊娠は奇跡の連続なのに

簡単に考え過ぎていたことを

今となっては凄く反省しています。

私だけ婦人科で簡単に検査をするものの

特に問題はなく

そのまま自己流でタイミングを続けること1年9カ月

ついに夫婦で不妊治療専門クリニックに

通いだしました。


私の方は高プロラクチン

AMH1.9(実年齢より8つ上に相当)

そして不妊の原因は

"男性不妊"と診断を受けました。

それにより自然妊娠は難しいと言われました。

タイミング法を飛ばし

人工授精も可能性は低いので3回まで

体外受精も今後の結果次第だけど可能性は低い

顕微授精でない限り授からないと言われました。

そして言われた通り

顕微授精で第一子を授かったお話です


妊活を始めて出産に至るまで

丸3年かかりました

妊活に一直線だった私にとって

この3年はとても長く感じ

妊活前のまっさらな気持ちにはもうなれません。

頭の中が妊娠一色で

考え過ぎていたので

無事に出産するまで張り詰めていて

ずっと苦しかったです。


無事に胎嚢を確認できた頃には

すでに悪阻が酷く

全然喜べなかったのは意外でした。

嬉しくて仕方ないと思っていたのに

実際は内診台の上で先生のこれが赤ちゃんですよ

の声を最後まで聞く前に

分かった分かった気持ち悪い無理吐きそう

なんて言う私。

タメ語なんとかせぇ

と今なら思いますがそんなことに気遣う余裕も

ないくらいに吐く寸前だったのです。

不妊治療専門クリニックを卒業する際も

喜びなんて忘れ

気持ち悪い気持ち悪いと呪文のように唱え

お会計をして後を去りました。

吐き過ぎてゲロまみれになった

めちゃくちゃに荒れた家を

片付けることもできなかった悲惨な妊娠生活でした。

誰か助けてと何度も思いました。


が、私はなかなか妊娠できない間に

心がくすみ、妊婦に対して幸せそうにしやがって。

悪阻がツライ?何がツライ?

妊娠できてるやん

妊娠できないほうがよっぽどツライ

妊娠できてるんだからそれだけで幸せでしょ

そんな悩み経験してみたいわ!

と嫉み、どうせ楽に妊娠できたんだろ

と勝手に思い知らぬ相手にも

イライラしてしまっていました。

そんな私が妊婦になり

酷い言葉を投げてきたのが

全部自分に投げ返ってきて

自分の言葉に苦しみました。


妊娠できたんだから悪阻でツライなんて贅沢。

あぁ、そんな事言ってたな自分

なんて酷い言葉を投げてきたんだろう。

こんなに悪阻で苦しむなんて思ってもみなかった。

私が妬んでいた妊婦も

もしかしたら苦労して苦労して

やっとできた子だったのかもしれない。

何も知らないくせに妊婦というだけで

妬んでいた自分に深く反省しました。

そんな妊娠初期でした


安定期に入り、久しぶりに2時間だけパートに

行けたときに

久しぶりに人との交流で

"おめでとう"

"楽しみだね"

など沢山幸せな言葉をかけてもらい

はっとしました。

あぁ私今幸せなんだ

不妊治療がつらすぎて

そしてそのまま妊娠し悪阻がつらすぎて

喜び噛み締める間もなかったことに気づいた。

私、やっと妊娠できたんだった

楽しみなんて忘れてた

ずっとずっと願っていた赤ちゃんを授かること、

ようやく叶ったことに。


そして大丈夫?つらくない?休んでいいからね!

できることがあったら言ってね!

なんて言ってくれる職場の方々。

公共の場でも席を譲ってもらったり

優しく労わってもらえて

何度助かったことか。

そんな経験をし、ようやく気づいた

あぁ私は1番弱い立場の人に向かって

なんてことを思っていたんだろう

最低だ


そんな経験をし

やっと少しずつ少しずつ

くすんだ気持ちがキレイになっていきました。


最後にもう一つ、

産まれるまで気が抜けなかったこと

それは不妊治療していたからとか関係なく

母親ならみんな思うであろう

赤ちゃんの無事。

そればかり心配で心配で

産まれるまでずっと気になっていました。

悪阻は妊娠してすぐに始まり(5w〜)

私は悪阻が酷いタイプだったようで

安定期に入ってもよく吐いていました

妊娠後期になったら後期悪阻もしっかりきました

何度吐いたかわからない吐き悪阻でした。

そんな大変な母体側をよそに

赤ちゃんはずっと元気でした

妊婦健診でいつも順調で

大きさもずっと平均的。

でも産まれるまでなにがあるかわからないのが

妊娠出産。

最後の最後まで張り詰めて

その不安感から吐き気も増したと思います。


悪阻は酷かったものの

産まれるまで母子共に

何も問題なく順調に進みました


そして出産予定日を迎え

産まれる気配はなく

結局予定日プラス9日で陣痛がきて入院し、

次の日の予定日プラス10日(41w3d)で産まれました

帝王切開でした


性別は女の子

産まれてからも特になんの検査もひっかからず、

元気で障害等もありません。

母子共にトラブルもなく退院し

現在生後3ヶ月ですが元気に成長しています。


産まれて顔を見た瞬間、

特に大きなトラブルもなく

元気と分かり

張り詰めていた糸が解け

自然と涙が溢れました。

やっと会えた

会いたかった

無事でよかった

不妊治療つらかった

妊婦つらかった

陣痛出産痛かった

頑張った

そんな涙でした


余談ですが、

高プロラクチンだったので

完母で育てられていること。

産み分けパコール法で知られる

顕微授精をしたことと男性不妊だったこと

女の子が生まれた事

関係ある気がすること。

興味深い…


私の経験

何処かで誰かの役に立ちますように

願いを込めて

胎嚢確認できた1年越しに

報告ブログを更新しました

2023.12.07