昨年12月、平本さんの公開カウンセリングを受けて、幼いころの思い込みに縛られていたことがわかり、少しずつ抜けていいと思えて来たら、心が軽くなった。

 

カウンセリングで

膝を抱えて泣いてる幼い私に

「小さかったから、無力で当たり前だよ、大人になってたくさんの人を助けられるようになったよ

。」

 

「大人になったら、理解者もできるよ、あなたに会えてよかったと言ってくれる人も出てくるよ。だから自信を持っていいよ」

 

「もう心配しないで、私がいつもそばにいるずっと一緒だから」

 

あの時の泣いてる私の手を強く握り、私の胸の真ん中に座らせた。

小さい私はもう泣き止んだ。

 

その後、平本さんのスクールに入って勉強し始めた。

約5か月後、講座の公開カウンセリングの題材に選らばれ、平本さんのカウンセリングを再度受けた。

 

母親への怒りが邪魔して、心からの笑顔を向けられないことを相談した。

 

小学生のころ、夜な夜な戦争体験の話を聞かされて、とても怖くて嫌だった。

私が仲間外れにされたことを相談しても、「知らない、そういうこと苦手だから」と聞いてくれない。

私が話していることを、自分の話にすり替えて、共感してくれないし、苦労自慢してあんたよりママのほうが大変だったんだから、と言い捨てる。

中学生の私が、ご飯の水加減を間違って、お粥みたいなやわらかい御飯になってもパパが、大丈夫だ食べれるからいいよと、かばうと「なに、私がこんなことしたらどなって怒るくせに!」とやきもちを言う。

息子が産まれて、名前を教えたら「おじいさんみたいな名前だね」と馬鹿にした。

とにかく思いつくまま、かなりの怒りを吐き出した。

 

 

 

平本さん 「その何が嫌だった?」

 

         私 「わかってほしかった」

 

平本さん 「よく頑張ったね、我慢してきたね、偉かったね、もういいんだよ。と自分を抱きしめて労ってあげて」

 

     私 「頑張ったね、もういいよ、我慢しなくていいよ。辛かったね、偉かったよ」

 

平本さん 「今の気持ちは?」

 

     私 「ママにわかってもらえなくても、私が私を愛してるからもういいです」

 

平本さん  「それじゃ、お母さんの立場に入ってみよう」

        「とはいえ、お母さんも大変だったんだよね。」

      

     私  「お母さんもお母さんに愛されたかった」

 

      そうなんだ、私は愛着障害の連鎖に巻き込まれてきただけ

     母も、愛がほしくてもがいている

 

平本さん 「2人(私と母)これからどうなっていきたいですか?」

 

       私 「それぞれの価値観で、幸せに暮らしていきます」

 

平本さん 「なるほど、それも間違いじゃありません、お互いの価値観を尊重した未来」

 

    私 「・・・・ただ、できるなら、死ぬまでに、本当は愛されていることを知ってほしいです」

 

平本さん 「なるほど。。。。それが本当の望みってことですね。認知症も始まってて、愛されてることに気付いてもらうのは、非常に難しいですが、適度な距離間で愛を伝え続けるんですね。」

 

 

何か、大きな重りがスッと溶けたような気がした

 

 

そう、伝わらないかもしれない

それでも、最後の望みは「愛に触れてほしい」それだけだ

 

怒りも悲しみも虚しさも、すべては愛してるから沸く感情だ

 

伝わらなくても、あふれる愛を出し惜しみするほうが不自然

 

愛は伝わるから出したり、喜ばせるために出すものじゃない

 

愛は勝手に沸いて溢れるもの

 

それを、どうせわかってくれないからと、出し惜しみして気持ち悪いことを自分にしている

 

出したいときに出したいように出す

 

愛はいつだって無条件なんだ

 

どんな感情も自分の一部

 

出していい

誰かの顔色を伺って、出したり我慢したりしすぎた

 

あるがまま、その自分を受け止めて、させたいようにさせるだけ

本当の自己受容はここからだ