お茶会に行った

練習会みたいな感じで

生徒さんが先生に聞きながらお茶をたてる


30年前くらいに少しだけ習ったけど

ほぼ何も覚えていない


ひとつひとつ全てに意味があるんだった

動き 扱い 物 場所 位置…


少し涙が出た

丁寧に ひとつひとつ


そうすればいいんだ

いつも

普段

そうすればいいんだ



ほんとうにひとりじゃないやさしいせかい

とは?

ひとりでいてもひとりじゃないと感じること?

安心していられること?


安心の反対は不安

不安だから安心を望むなら

何が不安?

相手にされない恐怖

人からの評価


みんな同じだって知ってる  だけ

みんなひとつだって知ってる  だけ


こうやって葛藤したり

苦しんだり喜んだり

こんなゲームを楽しむために生まれてきたのなら


ゲームって苦手だな


母は余命いくばくもない

こんな時に事故を起こしてしまった

 

この期に及んで

母親に心配をかけたかったんだと思った

子供のころは距離がある母子だったもんな

 

ちょっと笑えてしまう

 

ごめんねー

 

右鎖骨の骨折と

腰椎の圧迫骨折

鎖骨の手術は明後日

 

いつ退院できるんだろ

 

じっくり内省する時間をいただいた

気が付いたら

なんとな〜く白いモヤがかかったような世界で

私がいる運転席のドアが開いていて

その向こうに見知らぬ男性が話しかけてくれていた。

あぁ… 母の入院先の病院の帰り道

どうも事故を起こしてしまったらしい。

単独らしく

相手がいなくて良かった…とホッとしたあと

生きていたんだなぁとも思った。


この白っぽいのはエアバックなんだ

だから外がどうなっているのか全然わからない。


声を掛けてくれたのは

私の後ろを走っていた男性だった。

何も判断できない状態の私に

夫に電話するよう促してくれたり

救急車を呼んでくれたり

本当に親切な温かい方だった。


しばらくして

大切にしていたはずの車と男性を残し

私のために来てくれた救急車が病院へと出発した。

何様だ?わたし爆笑

母が行きたいと言った 出雲大社に行ってきました。
私もずっと行きたかった。

母は膵臓癌の初期だと言われ
手術をしてみたら
肝臓等々にも癌があり
結局「ステージ4ということですね」
とのこと。
弱い飲む抗がん剤を飲んで様子を見ることになりました。

旅行の1週間くらい前
「いつまでならキャンセルできるか」と
母が聞いてきました。
体調が悪いようでした。
急いで 木内鶴彦さんの「太古の水」を送り、おぶってでも行けばいいかと思おうとしましたが、
以外と母の衰えは辛いものなんだと感じていました。
3日くらい前には母のところへ行き、
一緒に病院へ行き、足を揉みました。
歩くのも話すのも辛そうでした。

迎えた旅行当日
もちろん体調を崩す前ほどではなかったけれど
見違えるように元気な母がいました。
体調を崩す前は
癌で糖尿病なのに1万歩くらい毎日歩いていたものですから…

電車 新幹線を乗り継ぎ
念願の出雲大社。
母曰く、母の願いはひとつ
「生まれ変わってもお父さんと一緒になれますように」
それに対し私は意地悪く
「お父さんもそう思ってないとなぁ。そもそももうお父さんは生まれ変わってるんじゃないの?」
ごめんね お母さん。

自分が80歳を過ぎても
足は上がるし素早く動けるので
お年寄りがモタモタしているのを見て
「何をしているんだろう」と
上から見ていた母。
それが今になって、動作ひとつひとつが大変になってしまったと嘆いていました。
「人の気持ちがわかってよかったね」
と言うと
「わかって謝りたくてももうみんないないなぁ」と母。
「あっちへ行ったら謝ればいいじゃん」と私。
「謝って回らなきゃいかんから大変だ…」と母。

子供の頃 私は母を見下していました。
車窓から外を見ていても
いろんな話が母から飛び出し教わることばかり。
謝るべきは私だったはず。

当時の母は相当自分を押し殺していたと思う。
嫁に来て、よそ者だといじめられたと話していたこともある。
人を信用するな と言う母に対しても
それは違うだろうと思いながら
母の苦しみを理解しようとすることはなかった。
母はたぶん 私に対して腫れ物に触るように接していた。
おっかなびっくりだったのではないか。
保育園のおばあちゃん先生が、私のことを
「この子は凄い子だ」とよく言っていて
発表会みたいなものがあると
必ず私が主役になっていた。

自分の子供がそんなこと言われたら
期待はするだろうし
責任感じるだろうし

そういうこともあってか
「ちゃんと育ててやることができなかった、悪い母親だった」と
少し前までよく言っていた。
私には寡黙でやさしい兄がいるが、
彼に対して特に申し訳なかったと思っているようだ。
彼もいじめられたりしていたようで
私はそれもわかっていなかった。
私が何か賞をとってもさほどの感動はなく
兄が頑張った成果があると喜びを全面に出していた

それも私の思い込みですが。


もう少し生きていてね お母さん。
まだちゃんと謝っていないらしいので
私。