M・ナイトシャマラン監督作品
「ノック 終末の訪問者」(2023年4月7日公開)

「シックス・センス」「オールド」のM・ナイト・シャマラン監督が、ポール・トレンブレイの小説「終末の訪問者」を原作に、世界の終末と家族の命を天秤にかけた非情な決断を迫られる一家の危機を描いたスリラー。
ゲイのカップルであるエリックとアンドリュー、そして養女のウェンの家族が山小屋で穏やかな休日を過ごしていると、突如として武装した見知らぬ謎の男女4人が訪れ、家族は訳も分からぬまま囚われの身となってしまう。
そして謎の男女たちは家族に、「いつの世も選ばれた家族が決断を迫られた」「家族のうちの誰か1人が犠牲になることで世界の終末を止めることができる」「拒絶することは何十万もの命を奪うことになる」と告げ、エリックとアンドリューらに想像を絶する選択を迫ってくる。
テレビでは世界各国で起こり始めた甚大な災害が報じられるが、訪問者の言うことをにわかに信じることができない家族は、なんとか山小屋からの脱出を試みるが……。
ゲイのカップルにアジア系の幼女とは、世の中進んだなぁ、とか、どうせなら家族3人が拒否して終末が来ちゃう、みたいなエンディングがいいなぁ、とか能天気な感想を持った私でした
さて、図書館で偶然見つけた原作、
ポール・トレンブレイ著「終末の訪問者」

本作は、ある家族、四十前後の白人ゲイカップル、アンドリューとエリック、中国人の養女ウェイの3人の視点でほぼ描かれています
しかも、時には同じシーンを3人の視点で繰り返します
更には、
「あっという間に舞台転換を終わらせる舞台係のようだ」とか、
「高速道路を走るトラクター・トレーラーのような騒々しい振動音」とか、
鬱陶しいほどの比喩表現が多くなかなかに読みづらい文章でもあります
「振動音」とは、縛りつけたアンドリューごと引き摺った椅子の脚のたてる音に過ぎないんですが・・・
一家は、ニュー・ハンプシャー州のカナダ国境近くのど田舎にある、携帯も繋がらない貸別荘で休暇を過ごしていました



そこに世界の終末のビジョンを共有した4人組が襲ってきます

リーダーのレナードは原作では若者です

彼らは、世界の終末を防ぐためにやって来たと言い、家族のなかから自分たちで1人を選び自分たちで殺す(選択し犠牲を払う)よう、要請?懇願?脅し?をします
更にその願いが聞き入れられないと知ると、
仲間を1人儀式のように手作りの武器で惨殺し、
テレビニュースで今起きているハワイとアメリカ北西部に押し寄せる大津波の様子を見せます
「これはお前たちのせいだぞ」
そんな場面が克明に描かれていきます
大災害や惨殺の惨たらしさ、その背後にいる?ある?「神」と呼ばれるモノの目的は?
何故ゲイカップルと中国人養女が生贄に選ばれたのか?
などと私は考えざるを得なくなります
アンドリューとエリックは一流大学出です
現在アンドリューは大学教授、エリックはマーケット・アナリスト、典型的なホワイトカラーです
カミングアウトした2人のそれぞれの両親との関係は、決して良好ではないようです
ウェイはもうすぐ8歳
口唇裂の手術痕があり、そのために実の親から捨てられたのではないか、そんなことも考える、周りの大人の言葉の裏の意味まで読み取ってしまう、そんな聡い少女です
一方、共通のビジョンに導かれてやって来た男女4人組、全米各地からやってきた彼らは直前まで互いを知らなかった、そう言います
リーダーのレナードは大男で教員補助兼フリーター
彼が啓示に従って掲示板を作成し、同じビジョンを持った者達を集めました
最初に掲示板にやって来たレドモンド、彼は下ネタ好きな前科持ちのガス会社の労働者、もしかすると同性愛嫌悪者か?
サブリナは資格勉強中の看護師、エイドリアンはシェフ
ブルーカラー、グレーカラーたちです
初め、アンドリューとエリックは、同性愛嫌悪者たちに襲われた、と勘違いします
過去にどれほど嫌な思いをし、酷い暴行を受けたことか
そんな過去から、アンドリューはこっそり拳銃をこのキャンプ地にも持って来ていました(但し、銃は車の中に置いたまま)
その銃がのちに悲劇を生みます
ゲイの一家も4人組も、彼ら7人全員食事の前に祈りを捧げるような生活はしていません
襲撃者たちがそれまで神を信じていたかすらも怪しいもんです
むしろ、エリックの方がカトリック教徒であり、時に日曜日に教会に出かけ、この危機に神に助けを求め、祈るような人物です
(本当は、ウェンにも洗礼を受けさせたかった)
初日、
一人目のレドモンドは自ら白頭巾を被り仲間達に惨殺されました
ここから、原作と映画は大きく異なっていきます
映画では、最終的にエリックが「アンドリューとウェンの幸せな未来が見える」と言って死を受け入れ、終末は回避されたように見えます
残されたアンドリューとウェンは呆然としていますが
しかし原作では、
翌日、二人目に死ぬ予定のエイドリアンが一家を拷問しよう、そうすれば話は早い、私だって死にたくないし、と言い出します
ウェンはパニックを起こし、それをきっかけに縛めから逃れたアンドリューは車に銃を取りに飛び出し、同じくエリックはウェンを救い出そうと格闘を始める
気がつけば、エイドリアンは撃ち殺され、もっと酷いことにウェンも銃の奪い合いから撃たれ、死んでしまいます
しかも顔の下半分を撃ち抜かれて
エリックもアンドリューもそしてレナードも精神的にも肉体的にも壊れました
エリックは飛び回るハエの大群のイメージと神の啓示は正しいのでは、という思いに取り憑かれたようです
レナードに請われてつけたテレビには、香港で大量発生する鳥インフルエンザのニュースが流れます
これは次の災厄、「疫病の蔓延」
(選択と犠牲)がない場合には、4人組の誰かが死に、新たな災厄が起きる、そして世界の終末は近付いている
という訳です
ウェンの偶然の死は(選択と犠牲)に値しない、ということ
レナードはそう告げました
サブリナは「こんなことはやめる」と宣言します
自分たちのやってきたことは「野蛮で下劣で邪悪」
「数十億の命のために多少の苦しみは・・・」とレナード
サブリナは「それでも正しくない。どこまでも気まぐれで残酷」
サブリナは自身の啓示を受けてからの体験を話し、二人を逃すと言い出します
現象は信じるがこんなことをする神はもう信じない
そして、レナードを撲殺してテレビで世界中の飛行機が墜落を始めたことを確認します
サブリナは自分たちが乗ってきたピックアップトラックの鍵の隠し場所まで二人を案内します
そこには彼女も知らないうちに大型の拳銃も隠してありました
半ば操られるように、エリックにまだ世界を救うチャンスはあると囁くと、彼女はその銃で自分の頭を撃ち抜きます
世界を救わねば
エリックはその銃を手にし自殺しようとしますが、アンドリューに自分を一人残さないでくれ、代わりに自分を撃ってくれ、と懇願されます
残ることも残されることも出来ない
ならば二人ともに・・・
結局、エリックとアンドリューは銃を捨て終末のような嵐の中、ピックアップトラックを目指して歩き続けます
最後の文章は「われらは前に進んでいくのだ。」です
この結末、最高です
シャマランは、皆のために誰かが犠牲になる、という考え方に賛意を示しているらしい
そう聞いたことがありますが、
どうせそこに自分はいないんでしょう
「人身御供」ではなく、あくまでも「自己犠牲」を他人に求める
絶望的な災厄で脅しながら
イヤラしいですね
「神」は何がしたいのか
ただの気まぐれ変態サディストか
シャマランの映画を観ている時には、まあ彼の映画だからそんなモンだろう、で楽しめましたが、
原作小説となるとそうはいきません
腹立たしさを抱えながら、違うラストを願い、読み進めました
そもそもなぜゲイのカップルなのでしょうか?
神の教えに背いた罰なのか
せめて神の許しを得られるようチャンスを与えられた?
これがウチだったら、お母さんに残って欲しいって子供に言われて必然的に自分が犠牲になるのか
それはそれで腹が立つ
だからゲイカップル?
ゲイはゲイでも、これが女性となると話は違います
中年女性ふたりに少女の家に大男が押し入ろうとしたら、それは誰の賛同も得られないでしょう
神は神なりに気を使った、ということか
冗談はさておき、カトリック教徒のエリックが我が身を犠牲にしようとして留まるところがホント最高です
宗教心?マインドコントロール?
危ういところで立ち止まれた、と言っていいのかな?
エリックは、レドモンドの惨殺の時に「神」らしきモノ、光を見たような気がしています
それは脳震盪のせい、アンドリューは否定します
4人組は狂信的なカルト集団、奴らの終末論を真面目に聞いても無駄
ハワイの津波も鳥インフルエンザも彼らの襲撃前から起きていた事象だった
では、アメリカ北東部の大津波は?飛行機の墜落は?
確かに終末は近付いているのかもしれない
でも、自分たちが死んでそれが収まる保証は?
この葛藤もいいです
なんで自分たちやウェンなんだ?
しかもウェンは惨たらしく死んでしまった
そしてそれは無駄死にと言われてしまった
4人組も気の毒です
「神は自分の手を汚さな過ぎ」
訳の分からない啓示に命をかけ、仲間を惨殺する
サブリナは進学のために金を貯め、職場の推薦状を貰うため休みも取らず、仕事と勉強に明け暮れる生活を送って来ました
それなのに、訳の分からない啓示に突き動かされ、貯めた金を旅費にし、職場を欠勤したままここまでやって来ました
例え、映画のようにエリックが犠牲になっても、彼女の将来は無いも同然でしょう
「神」はエリックとアンドリューの縛り方まで指示していたようです
ダクトテープを使えば、逃げられることもなかった
そんな愚痴も出てきます
となると、「神」は全てを仕組んでいた
最初から終末を止めるつもりは無かった・・・?
4人組の無駄な奮闘も可哀想なウェイの死も、エリックとアンドリューの生き残る選択も、全て「気まぐれ変態サディスト」の手のひらの上の出来事?
それは考え過ぎ?
さて、この原作小説は何を伝えようとしているのでしょうか
著者は自分もカトリック系の学校で学び、今はカトリック学校の
現役数学教師とのことですが、
宗教というものに思うところがあるのか、それとも、もっと身近な権力みたいなものに対する警戒心なのか
まあ、そこまではないのかな
最後に、ウェイが死んだことは酷くないのか、という話です
私は、ウェイの死も、下衆なレドモンドの死も、同等に考えます
付け加えれば、災厄で命を落とした方々も一緒です
全ては「神」の勝手な都合です
そこは関係ありません
強制された「自己犠牲」をどう評価するか
その一点です
