なかなかブログというのは、馴染めないものです。

 

三十路を数年超えて、思うことがあります。

 

おばあちゃん子として育った僕自身は、おばあちゃんの思い出ばかりである。

両親のように、その日その日の出来事を伝え、共有していました。

 

ふとした病でおばあちゃんは他界しました。

人というのは、幸せというか、何かが永遠に続くものだと思う。又は、錯覚するのでしょう。

 

その時のショックはかなりのものでした。

 

おばあちゃんの突然の他界を受け入れないまま、両親(母)との接し方に悩む日々が始まりました。

 

実の親なのに馴染めない。

おばあちゃんの存在はかなりなものだと思います。

 

色々、母とも父ともぶつかり合いながらもう20年余り。

 

最近は、毒親というのがいるとかいないとか。

 

僕自身は、自分の両親を、毒親とは全く思っていない。

ぶつかり合って、いがみ合って、楽しく過ごして、喜びを分かちあって。

それが自然と調和したのかなと思います。

 

祖母の早すぎる死も、両親と調和させるためになのかなと今は思います。

 

家族でも、他人といいます。

人という字は支えているというたとえをされる方がいます。

支えているのではなく、支えあっているというのが、個人的な意見です。

 

様々な人間関係が家族内以外にもありますが、

時にはぶつかり合い、時には喜びを分かち合う。

それがいいのではないかと思います。

 

三日笑門