帰りたい。ここではないどこかへ行きたい。

人に相談が出来ない。私が信頼していないのではない、ただ周りの人間が私に興味がないと思うから、私の求めている言葉はどう考えても引き出せないと分かっているから、そもそも、自分が求めたい言葉があるのなら意味はないと思うからそうしないのだ。

私は限界になれない。ちょっとやそっとのストレスではどうにかなることは出来ないし、まあ端から見たらこんなのストレスでもなんでもないんだろうな。

自分軸で生きるということと、それでは生きていけないと言うこと、他人を気にして生きるということが混ざって私の中身は中身で乖離を起こしている訳だが、私はのうのうと生きている。

卑屈になっていく。卑屈にさせられていく。でも、社会に「卑屈」は求められないからしまっておく。

私の自我が形作られても、「私」は社会に求められないので、私ではない自我や理性で元の自分をしまっておくしかない。

みんな違っていていいのは趣味の範囲だけで、社会にでるのなら、明るく知的で……とにかく理想的な大人でなければならないのだ、ということが分かった、つもりでいる。

実際そんなことはないのだろうなと思う。だって、本当に層なら、なんちゃらハラスメントとか、いじめとか、そんなものは起こらないはずだからだ。

一番辛いのは、私には言い訳や愚痴が許されないことである。いや、そもそも、言論は自由であるし、許されていないことはないし、実際私はいまこうして愚痴や言い訳を並べているのだが、そういうことではない。私は、私の口からそういうことを言ったことがないし、それは「許されないだろう」と思っているからだ。ネットに書き込んだって私を救ってくれる人なんかいない。同意という同意、共感という共感が得られない、もうそういう星の下に産まれたのだと思いたい。まあ別に、100%わかってもらえるなんて思っていないし、そんな希望は持っていないし(今のところ、便宜的には)、ただ、そういう思考に至ってしまった現在を認めてほしい。

もう帰りたい。

人の輪の中にいてうまくいった経験が極端に少ない。私がその原因であったとは思えない。私には分からないし、気にしてもらえるような人間ではなかったが為に証言もない。こういう所が、私のわがままに拍車をかけていると思う。でも、私視点でものを語ると、というか、私のしたことその事実だけを伝えたとして、私は悪くないと思う。私がとんでもない倫理観を持っているとか、教えられていた道徳がずれているとか、そういうことがないかぎり。私は他人をいじめなかったし、いつも親切にしてきたし、自分がされて嫌だったことも全部許してあげたし、というかされて嫌だなと思ってもあれこれ仕方がないと自分に言い聞かせて飲み込んできたし、甘やかしてあげてきた。いつも「優しいから、あなたになついているから」とクラスで浮いている子と班を組まされても文句は言わなかったしむしろ両方に気を遣ったし、みんなが見て見ぬふりをして期限の前日まで溜めていた作業を持って帰って一人で仕上げたこともあったし、みんなが嫌がる作業は率先して行ったしもちろん褒められたことはない、グループで不機嫌になってしまった子がいればその子にもその子以外にも角が立たないように丸く収める努力をしてきた。いつも貧乏くじを引きながら、私なりに頑張ってきたのに、私は「集団行動が苦手で他人と協力することが苦手」らしい。もうどうでもよくなりたい。社会ではそうはいかないらしいから、どうでも良くなれない。私は悪くないのに、放せば話すほど怪しくなるし、そもそもそんな難がありそうなエピソードききたいはずがない。聞いたってマイナスイメージを挽回することは出来ない。「この子はきっと人間に苦手意識があるはずだ」と思われるはずだ。

私の努力は何も報われない!

こんな世界にほとんど愛着などはない。あるのは、「こんなにいい子にしていたのに、なぜ誰も褒めない?なぜ大して苦労も努力もせず、運が良いだけで褒められて、うまく生きていけるのか。許せない!」という執着だけだ。

心底どうでもいい。心底どうでもいいのに、そうはいかない。こんな「(私の周りの)世界を怨んでいます」という人間は社会に要らないので、取り繕わなければならない。

素直に生きていけたらどんなに良かったか。素直の解釈をようやく理解することが出来た。素直というのはそのまま、ありのままという意味ではないらしい。私には「素直」な瞬間はほとんどないので、どうにか素直を作るしかない。これが皮肉というものなのか?

かえりたい。助けてほしい。でも、私の世界に、助けてくれるような人も、救ってほしいと願える人も、救われてそれで助かる私もいないのだった。しかし、この苦しみは苦しみとして存在しているのだなあ。

誰も分かるはずがない。だって言わないんだから。見せないし、見てないんだもの。

かえりたい。あいされないスタート地点がまずダメだったし、「そんなスタートでも今はパートナーとか家族とか友達とかに愛されてます!」みたいな人間がいる時点で私も私の心も砕け散ってしまう。ああ、私は、愛されなければ不正解なのですね。

世界が全てだ。私の個人の感想は全然意味がない。だって今まで20年間、だれも私の声を聞いてくれなかった。きっと私の周りからしたら、私の心はいつまでも純粋なままなのだと思う。他人の悪意に気づかないふりをして、遠慮を遠慮と思わないふりをして、そういうふりが案外うまくいっていたのか、それを見ないふりしているのかはわからない。

主張しない自分が悪いというなら、私と同じ立場になってみてほしい。私が頑張らなければどうしようもない状況がすぎると思う。まあどうせこんなことを言っても、「もっといい方法はあった」と言われておしまいなんだろうな。私の頑張りとか、我慢とか、葛藤とか、困惑とか、そういうのをなんにも推しはからずにストレートに断定するに決まっている。

私はきっと強く見えるんだろうと思う。私も私の強さにびっくりしながらうんざりして、追い詰められているところだ。単純に体が頑丈だし、顔に出ない(いや、いつも吐き気はあるし体調になんの不安もない日はここ10年1日もないし病院でも治らない)。メンタルも別に生まれたときからこういう運転状況だったので悪化したことがない。私は限界になれないので、何からも「逃げる権利」がない。自分自身の健康に追い詰められているなんてばかばかしいにもほどがあるし、このバカバカしさを理解しろというのは無理があるんだろうなとわかっているので期待していない。もう限界だといいながら、身体はおおむね健康で、本当に嫌になる。たしか5年前くらいどうにか気づかれたいという健気な思いから自傷行為をしてみたことがあるが、「限界じゃないのにそんなことするんじゃない!」と多方面から叱られる結果となり、私はこれを忘れない限り「私の周りの鈍感エピソード」として語っているつもりなのだが、まあ別にこの時も私は多少慢性的に生活が乱れていただけで健康だったなとおもうので、あながち周りの意見は間違っていないのかもしれないと思った。

もう私は今の状況を正直なところ、正しく把握できていないと思うし、こんな駄文を書き連ねるくらいならもっと役に立つ勉強でもしてはどうか?ということなのだと思った。私はもうこういう無駄で、どうしようもないと思える行き止まりに向かってぶつぶつつぶやくみたいなことをしていないと正気が保てないし(まあ「健康」なのでどこまでいったって正気なのだが)、もうだれかに「それはどうしようもないですよね」と言ってほしいのかもしれないし、でももう私の周りにはそんな人間はいないので、相談も連絡も報告もなにもしていないのだった。あーあ。

帰りたい。かえりたい。ここではないどこかへ行ってしまいたい。

「ここではないどこかに行ってしまいたくなることはありますか?」という問いをどこかで見たことがある気がするのだが、私は迷わず「いいえ」を選んだ、という記憶がある。どうせそんなことを言ったら社会から追放されるに決まっている。

社会から追放されたら、どうやって生きていったらいいんだろう。なぜこんなに完璧に取り繕って、自己紹介の時に「特になんにもしてなくて~」と困るような平凡な生き方はしていないつもりなのに誰も私に興味を持ってくれないんだろう。そもそもなぜ私の周りの人は私に対して罪悪感を持ってくれないんだろう。私がいい子にさせられた原因は私の人生に責任を負ってくれないのはなぜなんだろう。私は何でこんなにいい子なんだろう。なぜいい子なのに勉強はできないんだろう。なぜ苦しいのに苦しいと言わせてくれないんだろう。なぜ元気になれないんだろう。なぜかえれないんだろう。もう限界なのに限界でないらしいということが、ただそれだけで私をむしばんでいくのに、私はどうして健康に明るく冗談交じりに生きているんだろう。

もう私のことは私も大嫌いだし、私の周りの人間も私に好意的であるということはなく、良くて「時々遊んでやってもいい友達」という感じなのだが、そういう時に「自分を嫌いな人を好いてくれる人間はいない、自信を持っていきましょう」みたいな言葉が脳裏によみがえって、只一人その場でもだえることしかできない。そうと分かっているから、私は明るく朗らかに生きているのに、何が分かるのか。見抜いているというなら、もっと私の置かれた状況とか、私の苦悩とかそういうかわいそうなところまでくみ取ってくれよ。

もう限界です。限界ですが、別にだからと言って思い切った行動に走れるほどの考えはないので、やっぱりだから、ほら限界じゃないんだって。もう限界です限界です!そう言ってみても何の説得力もない。だって、言わないんだから。言えないんだから。

笑って笑って、明るく、気は使いながら能天気に…。まあ別に、私が、こうであっても誰も救われないように、他人は私を救わないんだろうな。…は?

ここ数日業務連絡以外に人と話す機会がなく、いや、あったな?(A.面接)もう荒むこと荒むこと。まあ、べつに荒んでいる様子は見せないというか、まあ、毎日生活が適当で、人間とのかかわりもないのでそんなに差がないというだけだった。

もう接続詞とか、呼応表現とか、そういうルールが全く守れなくなってしまった、というか私の脳内はいつもこうなのだが。もう面倒になってきた。何も楽しくないし、別にいつものことなのに、いつもより幻想が5割、10割増しに想像できてしまい、そのギャップに苦しんでいる。どうせどうせで生きてきて、その「どうせ」すら下回る周りの人間が溢れていて、「よく不良にならなかったね!」と褒められたいのだが、当たり前に優等生(学力はまあまあ~いまいち)になってしまったので、1回くらい不良になっておけばよかったかなと思う。私の周りにも、不良からの更生が褒められている例があったので。

もうどうでもいいな。べつに、どうでもいいんです。私が普通じゃないから不満なだけです。普通じゃないのに、普通扱い。別にいいけどね、普通に見えるし、数値じゃ普通なんだから。もう結構です。だってもう期待していないんだから。期待していないから、こんな話は何も口に出していませんよ、と結構前に書いた通りです。

社会見る目がないなとおもうし、なんかもう私は早く立ち上がれなくなるとか、失神するとか、1日を覚まさないとか、顔色がすごく悪くなるとか、生きるなら生きるのに支障が出ない程度にどうにかなってほしい。私は限界なのだ、ということをちゃんと数字で、紙で、他人に示せるようになりたい。どうせ他人は私のことなんか信用していないのだから。「まあ、普段からコミュニケーションとってないなら自業自得ですよね」という声が脳内で生成されたので言っておくと、もうこういうのは鶏が先か卵が先かみたいな問題であって、なぜ私だけが悪く言われなければならないのかわからない。まあ、私の周りの人間はみんなそうだったので理解はできるが。

もうしばらくどうでもよくなりたい。全部やめたいし、私はいま、この瞬間が人生の到達点なので、ここで遊ばせていてほしい。まあ、そんなことをゆるす「みなさん」でないことは分かっているので言わないでおく。

もう何が何だか私にもわからない。毎日毎日、不安と悲しみとやるせなさ、怒りだけが残っていて、なにもできないし、皆さん風に言うなら「何もしないまま怠惰に」生きているだけになっている。ああ、同じ状況でも、「頑張っていますよ!」と言ってもらえる人間もいるのに、私はそうではない。顔か?容姿が悪いのがダメなら今すぐ両親をより深く怨んでやろうと思うのだが。

面倒だ。別にどうだっていい。どうだってよくなりたいとこんなに言っているのに、どうにもなれない私の弱さばっかり非難されるんだどうせそう。ずっとそうだったなあ。もう本当にどうでもいいです。今この瞬間だけをかえしてほしい。こんな世界に、これからに、希望なんかないです。私個人の話ではない、この社会の仕組みにも絶望しているし、もう競争なんかしたくないです。認められないなら認められないでいいのに、「それじゃ、最低限度の生活でも何にも云えませんね、全部諦めてね」になるからどうでもいいになれない。

推敲できません