4. 『環状列石 = 配石群』の論拠; 

  • 大湯環状列石は、配石遺構数個から数十個の川原石を円形や楕円形などの形に並べたもの)がたくさん集まり、サークル状になった遺構。

 

  • 環状列石の性格については、昭和26年・27年 に文化財保護委員会が発掘調査を実施し、墳墓説と祭祀場説の二説が提示されていた。その後、鹿角市教育委員会が実施した一本木後ロ地区の配石遺構群の調査(残渣脂肪酸分析、副葬品を思わせる漆器等の出土等)から、配石遺構については「配石墓」、その集合体である環状列石は「環状に配置された集団墓」と考えられるに至った。

 

  • 一本木後ロ配石遺構群中の第12号配石遺構の発掘調査から、本配石遺構が『直径108cm、深さ55cmの穴を掘り、穴に甕棺を納める。甕棺が見えなくなるまで埋め戻し、穴の内側に沿って細長い石を立てて並べる。その後さらに土を埋め、最後に平らな石を並べた』ことが分かった。この配石遺構が人の手によって埋め戻されていること、甕棺が出土したことから『配石墓』と判断した。
 
 
  • 残存脂肪酸分析;第12号配石遺構で実施したところ「高等動物が持っている脂肪酸(リグノセリン酸)」が検出、特に甕棺内で高い値が示され、甕棺墓であることが証明された。

 
参考】"土器残存脂質分析の成果と日本考古学への応用可能性" by Shoda, Shinya :"This paper aims to evaluate the usefulness of pottery lipid analysis in Japanese archaeology. In Japan, this" "method was once considered to be quite unreliable because one of the studies concluded that they had identified fat of extinct animals such as Naumann elephant or Giant elk on the stone tools which themselves were revealed to be a fraud. However, because of their chemical structure, lipids are relatively more robust and less soluble in water than carbohydrate or protein and they preserve well in pottery matrices or in adhering charred residues. Consequently, lipids can be highly useful for determining what kinds of products were cooked in pottery vessels. Methods such as identification of biomarkers by GC-MS and measurement of isotopic values at the molecular level by GC-c-IRMS have revolutionized the accuracy and applicability of this approach overseas. In contrast, during the last twenty years, organic residue analysis has been rarely considered in Japan. By reviewing major achievements of pottery lipid analysis in overseas, especially focusing on recent development of this method in the United Kingdom, the authors try to raise awareness of organic residue analysis in Japan, as well as to indicate its" "potential to the rich Japanese ceramic record."
 
 
5. 万座環状列石と掘立柱建物(配石墓群と祭祀場)
  • 万座環状列石を形づくる配石墓である配石遺構は、一様に分布しているわけではない。環状列石の外帯に位置する配石遺構群は12群に区分することが可能。

万座環状列石を構成する各配石遺構の区分;右図の〇・◎は配石遺構と認められるもの(◎は「大湯町環状列石」の報告書の中で後藤守一氏が番号を付して、形態分類したもの)

 

 

※ 一本木後口配石遺構群の配石遺構携帯分類。 万座および野中堂環状列石は手つかずの未発掘状態なので配石遺構の考察は一本木後口配石遺構群のそれらで行われている。

 

 

  • 列石に接して掘立柱建物が分布する。万座環状列石では52棟が確認され、平面形 (柱配置)は方形、六角形を呈するものが多い。建物は列石外帯と同様に、重複や遺構間の隙間から数棟からなるグループに分割され、水野氏が分割した列石外帯の配石群 (小塊)に対応していく。 さらに建物の長軸方向は列石の中心を意識した配置を示しながら、六角形のものは列石寄りに、方形のものは列石より離れた位置に構築されている。

 

 

  • 確認当初は列石との強い繋がりを示していることから 「モガリ屋」的な性格を与えたが、掘立柱建物回りから自然界や非日常生活を意識した遺物が多いことから葬送儀礼 (儀式)を含めた畏敬の念を表すための施設として考えている

万座環状列石ー掘立柱建物の外周D8区域の遺構外出土物

 

 

万座環状列石東隣り(D5区)より出土の土製品。21~23はキノコの土製品

 

 
※ モガリ(殯); 日本の古代に行われていた葬送儀礼。死者を埋葬するまでの長い期間、遺体を納棺して仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。その柩を安置する場所をも指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)という。
 
 
 
6. 環状列石を『共同』の祭祀場と集団墓地とした論拠
  • 本遺跡の発掘調査チームは、当初、他縄文中期の環状大集落の例(↓西田遺跡@岩手など)と同様、中心の墓域から外に向かって掘立柱建物、竪穴住居、土坑の重帯構造を想定し発掘を続けたが、この環状列石群造営に見合う人数を確保する竪穴住居跡はついに見い出せず、遺跡内の縁(湧水地点近く)に僅か16軒の確認に留まった。

岩手県西田遺跡(縄文中期)

 

 

  • 風張台地の北西縁の湧水周辺に16軒の竪穴住居を確認したのみ。 掘立柱建物の建て替え等から推察される長期にわたる環状列石の維持・管理を行ったにしてはあまりにも少なすぎる。 B2、B3、F2、F3, F4、D1、D2、D3,D4、D5、D6、D7、D8の区域からは竪穴住居跡は確認されなかった。
  • 上記台地北西縁の16軒の竪穴住居は、祭祀を司る人あるいは墓守の住居であった可能性あり。

 

  • 上記、墓石群の周辺に生活の痕跡(竪穴住居)が乏しい状況は、鷹巣町伊勢堂岱遺跡、青森市小牧野遺跡でも同様の状況が見出せる。
 
  • 水野氏の考察;列石を構成する個々の配石遺構は個人の 「配石墓」 と考えて推論していくと、小塊は個人の次の大きな集 団である 「家 (家族)」 として、列石に付随した出入口施設を「家」の次に大きな集団となる単位を区画するものと仮定すれば 「ムラ」という単位に辿り着く。 このような考え方が許されるとすれば万座環状列石は四つのムラ、野中堂環状列石は少なくとも二つ以上のムラによつて、長年にわたり作り続けられた墓域 、記念物と考えていくことができる。
  • 大湯環状列石周辺の縄文のムラを↓に示す。 『共同』の祭祀場と集団墓地は、これらの周辺遺跡に分散して生活を営んだ縄文人のものであったと推測される。