自分の1日1日を大切に生きているの…この世での残された人生を、悔いがないように生きていきたいと…そう思って毎日を過ごしています。

若い時には中々そのような考え方はできないでしょうけど、今の時代は、コロナワクチン接種などの影響で、若くても長生き出来るかどうか分からない現実があります。

今、この時を大事に自分の心に正直に、悔いがないようにと思って過ごしています。

人それぞれの生き方が有るでしょうから、どうこう言うつもりはないけど、私は自分の心に嘘をつかないで、もっと自分の心の訴えや要求に耳を傾けてあげるようにして行こうと思います。今までは、常に自分を抑えていきていました。母の教えどおりにです。常に自分の気持ちや思いは抑えて出さない…自分を律して生きていくこと…

母のように生きていくこと…




母は自分の希望や望みを胸にしまい込み、自分以外の他の者の為に生きることを良し、とする人生でした…
戦前の少女時代は、乳母たちや多くの使用人達に囲まれて何不自由無い人生を送っていたのですが、終戦と同時に、全ての財産を置いて、家族で日本に引き上げないといけない状況になり…
私の祖父が、その他の多くの日本人を連れて、38度線を超えて博多港に着くまでの経験…
其後、故郷の熊本に帰り、何も無い日本で今までとは全く正反対の生活から始めないといけなかった現実。母は教師になる為の学校に行っていたのに、熊本市内に通うには当時は国鉄しかなく、汽車の窓から皆乗り降りしていたので、通学を諦めなければならなかった…そして、仕方なく地元の女子校へ行くしかなかった…その時から、母は自分の夢を諦めて、自分の事は後回しにして他の為に生きる事を良し、とせねばならなかったのでしょう…それに比べ、2つ下の叔母は、自分の希望や望みを優先してのびのびと生きていたので、そんな叔母を母はある面羨ましかったと思うのですが、母はそんな妹を一生否定していました。自分勝手に生きる人だと…

私はそうは思ってなかったけど、私の姉は今だに叔母のことには否定的です。

私は、そんな母と姉の考え方には少し否定的です。笑😊


まぁ、そのような母の教育を受けて育ってきた私は、自分の思いを表に出したり、人に話すのがとても苦手です。

父もまた話下手というか、自分の思いを一切話さない男でしたので、あれでよく長い事夫婦としてやっていけて、ある面すごいな、と思いましたよ。笑笑


だから、私はこんな歳にはなったけど、これから先いい人と出会い、共に人生を歩んで行くことができる人が現れたら、ちゃんとお互い向き合って、互いの気持ちを伝えあって愛情交換しながら人生を送れたらいいな、と思ってるの。

早く現れないかなぁ〜…そんなひと…

笑笑😆😆✌️💞




彼女は私が大好きなピアノジャズシンガーなの…ホント、大好き!😍🤩