いつの間にか

10年



6ヶ月の長男に授乳しながら

テレビが倒れていく様を見て

慌てて

外に出たんです


もちろん

窓という窓は自動開閉し

電信柱の異常な揺れを

呆然と

道路の真ん中で確認してました


長男を抱えたまま

直後の数分だけは携帯電話がつながっていて

遠い九州から心配の電話をもらって

無事を伝えたら

それっきり

混線


でも

ご近所さんと無事を確認したり

仕事場から義母がかけつけてくれたり

停電の自宅から

発電機稼働の仕事場に避難して

光や情報は満足に得られて

恵まれていましたね



やはり

田舎への交通網は悲しく

村唯一のコンビニや地元スーパーには

暗い中

人が殺到していて

とにかく食べるもの

なんとかして

繋げてました


乳幼児には必須なオムツは

隣市町村まで

限定数を求めて探し回り

布オムツを併用していたけど

まだ粉ミルクを使う必要がなかった長男は

負担が少なくて

本当にエコ


離乳食の冷凍ストップは

自然解凍で廃棄

授乳で繋げた数日

母乳の為に白米だけは欠かさなかった


まだ寒かった3月は

自宅のインフラで唯一使えたプロパンガスで

ヤカンで沸かしたお湯をテーブルにのせ

蒸気と

湯タンポで

暖をとり


仕事場のホコリや臭いから

長男を守る時間を作ってました


初日からテレビで流れる映像を見て

全て把握できていて

ショックを早くから受け

今でも

当時を思い出すから

短時間しか見ない


地区の会長をしていたから

やっと繋がった家電には

役場から安否確認指示の連絡

各班長さんに

連絡しに走りました


物流が滞っていたから

パパのタバコをカートン買いで

九州から届けてもらっていたけど

一年後には禁煙

不要になって

9年


とにかく

できることをできるタイミングで

普通の生活に戻していった

数ヶ月


家族で生活を支え

友人や知人、兄弟からの応援も

本当に大事なこと

1人では生きていけないことを

知らされた3.11



それから

1年半後に生まれた次男


病室で

男子三人そろった写真

『赤ちゃんかわいいね』

って、言ってる風景が愛おしくて

幸せな一枚です


震災を知らない次男は(長男もほぼ)

ニュースの話として実感してるけど

ここでも起きたことだよ

って、いつか

実感するのかな



本当に恵まれていた

そして

これからも

忘れないで

繋げていきたい


感謝