自分は周りの人にどれだけ優しく出来ているだろうか。

自分の家族に優しく出来ているだろうか。


あくまでも持論だが、私は自分のことしか考えていないから心気症が暴走すると考えている。


気にかけてくれる人のこと

見守ってくれる人のこと

支えてくれる人のこと

残された人のこと(だいぶ気が早いが)


人間はいつか必ず死ぬ

動物もいつか必ず死ぬ

昆虫もいつか必ず死ぬ

植物もいつか必ず死ぬ


種族毎に、そして個体差毎に若干の誤差がある程度で、地球の歴史から見ればほんの些細なことだ。


死ぬことが重要なのではなく

死んだ後に自分がどう思われて記憶に残されるかが大切なんだ


私は父に対してこう記憶している。

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いつも怒っている恐い人

威圧的な人

しょっちゅ殴り蹴り倒してくる人

しょっちゅ呼吸が止まる程みぞおちを打たれたこと

殴られ続けて、ゴメンナサイ!と何度も絶叫しながらも記憶が遠くなっていっていたこと

しょっちゅう家から締め出す人

いつも下痢してる人

喧嘩っ早い人

自分勝手な人

たまにバッティングセンターに連れて行ってくれる人

たまに釣りに連れて行ってくれる人

ゲームと酒とタバコとテニスが好きな人

野菜を極度に食べない人

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要するに怖かった、辛かった、憎かった記憶が8割位を占めている。

父が癌になる前の小学生低学年から中学年位まで、本当に早く○んでくれと神様に何度も何度も祈り、

紙に「神様、どうか父を○して下さい」と書いては机の裏に落とし、何枚も何枚も何年間もそんなことを書いていた。

今考えれば恐ろしい精神状態だし、たまに自分が世間とズレていると思うのは、この体験があったからなのかもしれない。



話を戻すが、こんな父を自分に置き換えた時に、この状態で死んでしまうのはなんとしても避けたいと切に願う。



どうせいつかは死ぬのだから

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いい人だったよね

面白い人だったよね

優しい人だったよね

面倒見の良い人だったよね

こんな時にあんな事をやらかして笑ったよね

こんな良いことを言う人だったよね

苦労を見せない人だったよね

惜しい人を亡くしたよね

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こう思われたい。



間違ってもこうは思われたくないものだ 


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いつも病気のことを調べて不安になってメンタルブレてたよね

神経が細い人だったよね

心配症の人だったよね

自分勝手な人だったよね

嫌な人だったよね

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だからこそ、やることは1つ。

今は自分のことよりも他人の力になれる事に目を向けてみよう。


自分が経験してきたことで、伝えられることを伝えても良い。


自分に出来ることを少しだけお手伝いするだけでも良い。


まずは家族やパートナーから始めてみよう。

「ありがとう」

強要もしていないのに、こう言われることは、気持ちが良いものだ。

間違っても強要してありがとうを求めてはダメ。

それではただの嫌な人に成り下がってしまうから。

ありがとうと感謝されたらラッキー程度に構えておこう。


家族やパートナーから「ありがとう」の言葉が増えてきたら、

次は友達や職場の人に対して、自分に出来ることをやってみよう。


そこでも感謝されることが増えてきたら、

街中で困っていそうな人に対して、気にかけてみよう。


なんて声を掛ければ良いのか?

そう考える心配はない。


「大丈夫ですか?」

「これ落としましたか?」

「座りますか?」


聞くだけで良い。

本当に困っている人は、直ぐに助けを求めてくるし、そういう人はメチャメチャ感謝してくれる。


それでも聞くのが不安な人は、「大丈夫です」と言われたときの対応を用意しておけば良いだけだ。


大丈夫ですか?

→ 大丈夫です。

あ、それなら良かったです(ニコッ

そしてスタスタ立ち去る


これ落としましたか?

→ いえ、違います。

あれ、誰のだろう?ここに置いておこうかな。

置いてスタスタ立ち去る


座りますか?

→ いえ、結構です。

もう立ち上がっちゃいましたし、次の駅でおりるので、せっかくだしどうぞどうぞ。

隣の車両に移動してその場を離れる。



これなら自分も傷つかないし、話しかけられた相手も嫌な気持ちにもキマヅイ気持ちにもならないだろう。



私は、心気症が暴走している時は、

自分の未来のことばかりを気にしてネットサーフィンに熱中している。


他人のことを気に掛ける暇がない程、恐ろしく無駄な時間を費やす。


その無駄な時間を、自分という人間力を高めるために「他人に対して」費やしたいものだ。