これは老婆の入力練習始まって3回目です。どうぞこれが、美樹ちゃんの所に着信出来ますように。祈

 

美樹ちゃん

これから本文を入れます。

さっき、お話したように1960年代自分が就職した、ドイツの航空会社は3ケ月のローカルトレーニングが終わると

すぐにドイツのハンブルクにある会社のトレーニングスクールにスタッフを行かせるのです。

寒ーい真冬のハンブルクの道は氷、水路(これは川とは違うようです)が街にあります。それはかなり幅も広く川の

様に見えます。其の幅広い水路が、凍っているのです。ところどころその氷が掘り返され氷のブロックが、大きな岩の

様に水路中にあちこちひっくり返っています。それほど町は寒いのです。

トレーニングコースで最初の勉強は世界地図から、自社の飛ぶ飛行機が行く、世界中の空港、地名に始まり時差、

記号(あらゆる名称は記号で表していました)。

ねぇ、美樹ちゃん、さっきも話したように、当時、電話はあったけれどFAXもありません。計算機ありません。

互いの連絡は全てテレックス(テレタイプ)です。テープに記号を打ち、そのテープを送り先へ送信するのです。

文章は出来るだけ記号を使い、短ーくします。そうそう、私達の仕事の一番大事なことは切符の計算でした。

飛行機の飛ぶ距離と料金を、色々な規則に従って計算するのです。

ですから、私はトレーニングコースに「そろばん」を用意して行きました。所が12ケ国のステーションから

送られてきたクラスメート達は、「算盤」なんて見たことがありません。私が算盤を使い始めると苦情がでました。

気になるのだそうです。それで全員反対、私も皆と同じ筆算になりました。ねぇ。不便でしょう?

テレビはその頃ありましたよ。電話もありました。長距離電話はものすごく高い料金でしたがありました。

でもね、今のコンピューター、セルフォーンなんて夢のまた夢でした。想像もできません。

 

これだけ書いて美樹ちゃんに伝えたいことは、かなりボケで、諸説明も理解しにくい老生徒ですが、事情を

理解して頂き、面倒でしょうが、もう暫く教えてください。よろしくお願い申し上げます。

ああ、83歳!

こんな時代に生きるなんて想像もできませんでした、すごい世の中になったものですねぇ。もう一度、私が

自分でAmeba掲載が出来るようになるまで、教えてくださいね。

 

澄子