はいな❤️
物語を語る上で、背景となる時代を
昭和40年頃に決めたわけですが、
僕が生まれる少し前の世界になります。
この昭和40年と言うのは
戦後と近代の狭間で、
物が代わるのが早い時代です。
昭和30年後半と言えば、
まだまだ3輪の軽トラックが走り回り
女性をドライブに誘うのも
この3輪の軽トラックと言うのがメインでした。
当時の男性はシャイでもあり、
二人で出掛けるのに勇気がいり、
農作業の合間に子どもや家族と一緒に
目的の女性を乗せて走るのが常でした。
せっかくの助手席には、おばあが座ったりして
後ろの窓越しにバタバタうるさいエンジン音に邪魔されながら
大きな声で会話をしたりしてました。
この時代って案外静かじゃなくて、
農薬を散布する機械も
耕運機やトラクターも
洗濯機すらも
にぎやかに騒がしかった時代です。
大きな声を出すからなのか
鬱病って、あまり聞かなかったと思います。
ま、鬱病自体を知らない時代ですからね。
用水路で洗濯や野菜や果物を冷やして
肥を畑に担いでいき、
ガス釜はなかなか、点火出来ずに爆発することも多く、
まだ、薪を使う家庭も残っていました。
河川も草がぼうぼうの土手に囲まれ
足を滑らすこともしばしば。
自転車は家族みんなで乗る為に
大人用の自転車を三角乗りして
子供達は乗りこなしていました。
そんな30年の終わりから40年にかけて、
テレビは小さな白黒テレビから
家具調のカラーテレビへと置き換わり、
家族でのチャンネル争いが始まり、
田んぼは大規模な区画整理で
四角く区切られ、
機械による農業が進み、
自分の田畑に軽トラを取り付けれるようになり、
そのころになると、
3輪の軽トラは姿を消して
今でもあるような4輪の軽トラに姿を変え、
農家では外出用にファミリーカーといった
セダンタイプの車も増えてきました。
それと時を同じくして、
洗濯機や冷蔵庫も各家庭に姿を表し、
整備された田んぼの用水路で
洗濯や野菜を冷やす姿も見かけなくなりました。
用水路も土の用水路から
コンクリートブロックによる用水路となり
流が早く浅くなってしまい、
どちらにしても、洗濯も出来なくなってましたからね(^^)
テレビに色が着くに従って
人びとの着るものにも色が入り、
白と黒の世界が鮮やかになってきたのも、
この頃になります。
街に近い山々は削られ
ニュータウンとして生まれ変わり、
道路は掘り起こして地下鉄が作られ
あちらこちらで土木作業が行われ、
そこに、ちらほらと中年とまでいかない
若いお母さんが男衆に紛れて働く姿がありました。
白黒テレビが普及したかと思うと
カラーテレビへと、あっという間に変わってしまい、
カラーテレビもチャンネルからボタン式に、
もちろん、ダイヤル式の黒電話も
あっという間にピポパ音のする、緑やピンクの電話へと姿を変えていきました。
カラーテレビの普及と同じように
白シャツ一枚、ステテコ姿は消えていき、
道路は砂利道からアスファルトへと変わり
木造校舎は鉄骨の四角い三階建てへと変わっていき、
自分の記憶がどうだったのだろうか?
と悩むくらい、
時代は急速に変化していました。
区画整理と同時に人糞を肥やしに使う事もなくなり、
これにより、トイレでお釣りが返ってくる悩みもなくなってきました。
昔は肥料に使うために
水を多く入れてあったので
大をすると、ぽっちゃんと返ってくる。
このタイミングで腰をひょいと上げて
返ってくるお釣りを交わすわけです。
肥料に使う事がなくなったことで
水を多く入れておく必要もなくなり
お釣りが返ってきにくくなったわけですね。
トイレも汲み取り式が多くあったために
離れに作っていたのが
水洗やバキュームカーによる回収など
肥溜めを置いておく必要もなくなり
家の中にトイレがある家も増えてきて
クーラーなんてエアコンも家庭に入ってきて
いろんなものが大きく変わっていった時代になります。
物をどんどん買い換えていたけども
あの時代って、どうしてたんだろう?
そんな事を考えたり、
区画整理中って、農民は収入をどうしてたんだろう?
なんて調べてみたりしましたが、
なかなか、資料が見つかりませんね。
今の人にどう伝えれば
あの頃の時代をリアルに感じて貰えるのだろう、
そんな事を考えながら
昭和40年の初めを思い浮かべて
楽しんだりしております(^^)