はいなー❤️

ほとんどボランティアをやらなくなったわけですが、
ボランティアを否定したり毛嫌いしているわけではなく、
純粋に時間や都合が合わなくて
やる機会が無くなったって感じです。
優先度が変わったのも理由ですけどもね(^^)
他人の為に、
不幸な人の立ち上がる機会を与えたい。
等々、かなり上から目線だったんだと思います。
ま、苦しんでる。と言われたら、
なんとかしたい、してあげたい。
出来ることはないのか?
同じ思いで苦しんでる人を生み出さない為には!
等々、日々、そんな感じで
時間があればボランティアにせいをだし、
困ってると聞けば
自分が後で困るのを分かっていても
食べ物を提供したり
衣服を分け与えたり
出来ることは、とにかくやってきた。
でも、それってホントに
その人の為になっていたんだろうか?
大きな転換期は自転車です。

こやつ ですね。
独りで動くことが増えてきました(^^)
遠くの人に会うために
誰かに車を出して貰う必要もなく
自分でいつでも自由に走っていける。
お金を気にせず、ただ漕ぐだけで
走っていけてしまう。
今までのママチャリと動ける距離が
格段に違う。
そして、走ることが楽しみとなり
何処かへ行くことを考える事も楽しみとなる。
いつしか、他人の為にが、
自分の為にに変化していき、
自分の楽しみってなんだったんだろう。と
過去を振り返る時間が増えてきた。
自分のいろんなものを犠牲にして
他人の為にと思って生きてきた事は
悪いことではなく、
確かに充実感も満足感もあった。
でも、ホントにその人の為になっていたんだろうか?
傲慢な自分の正義感やこうあるべきを押し付けていただけじゃないのか?
など、
いろんな事を考える時間が増えてきた。
走りながら、
流れる景色を見ながら、
そして、
外で楽しく遊ぶ人々を眺めながら
自分の人生を振り返っていました。
結論!
何かを始めるしかない!
50歳になっても
まだまだ、始めれる事はある。
それを見せていくしか
他人に何かを伝える術はないのかな。と。
自分の考えや正義、生き方を押し付けるのではなく、
何かを感じてもらえるよう
ひたすらにチャレンジを続ける。
今までやったことのないこと、
ゼロから挑戦してみること。
この中で感じて貰えたら
きっと何か出来ることを
自分なりに初めてくれるはず。
幸不幸は観念に過ぎず
自分が感じること。
他人と比べて不幸を感じる必要もなく
自分で切り開いた満足感があれば
どんな境遇でも幸せを感じれるはず。
僕に出来ることは、
そんなにたくさんもなく、
僕に出来ることは
限られた小さなこと。
でもそれは、
そんなにちっぽけな事なんかじゃない。
僕に出来ることは挑戦し続けること。
そして、
自分に出来ることを増やして
挑戦することを増やして
自分の中で、自分の魅力を蓄えること。
他人の中に自分の人生を作るのではなく、
自分の中に自分の人生を作り上げ、
そして、
自分の中に自分の魅力を蓄えること。
これが僕のボランティアだ。と
感じたわけです。
自分に魅力が備わってなければ
他人に向けるボランティアは
施しにしかならず、
その人の心の柱を打ち立てる力とはならない。
だから、先ずは
自分が楽しみ、挑戦し
魅力を蓄えていくこと。
50歳で人生を終わりに向かわすのではなく
50歳から可能性を開いていく。
そんな魅力ある人間になりたい。
それは、何かを施す事よりも
他人に勇気を与える力となると思う。
だから、それが僕のボランティアなんだ。と。
そこまで心に深く突き立てたわけじゃないけども、
自分のやるべきボランティアは
自分を磨き、自分の人生を楽しむことなんだ。と
気づいてから
ボランティア活動に参加する事は
二の次になったわけです。
なので、やりたくなくなったわけではなく、
自分の挑戦のプランが忙しくって
ボランティアの日程とうまく調整がつかない。
ってのが本音です。
やりたいことや、
挑戦したいことは
まだまだたくさんあるわけですし、
まだまだ出来てない事も山ほどあります。
まだまだ、とっちらかってて
収拾がついていませんが、
もっともっと、いろんな事に
挑戦していけたらって思ってます。
まだまだ人生半分!
もっともっと味わって楽しんで
生ききっていこうと思います(^^)