はいな。

人を差別してはいけない。

今では当然の考え方です。

お金だって
金額に関わらず粗末に扱ってはいけません。

でも、お金は施された内容により
差が生じています。

これを無視して
お金は平等に扱うべきです。
と言い出してしまうと
お金 そのものの価値まで崩壊してしまいます。

僕は人間もこれと同じと考えています。

人は平等に大切にされるべきです。

しかし、やってきたことや 役割
覚悟や責任感などで
その価値は異なってきます。

それは努力の差や能力の差と言った
単純な話ではなく
そこに至った環境や境遇が
大きく関わり、
それに、スパイスとして
個人の能力や努力が加わるわけです。

スパイスだからってバカには出来ません。
置かれた環境や境遇しだいでは
そのスパイスが劇的な作用を起こす場合もあります(^^)

千円札より一万円札の方が努力していた訳じゃありませんし
でも、その差は10倍も開いているわけです。

一万円札は一万円としての価値があり
千円札は千円としての価値があります。

これが、一万円が千円札をバカにしたり
千円札と比較して使われると
一万円札は一万円としての価値は発揮できません。

千円なんて大したことない。
一万円札なら千円のものなんて、簡単に買えるわ。
って、千円のものを買えば、千円の値打ちになるし、
千円と比べて、千円のものを10個買ったところで
本来の一万円の価値なんて出せません。

また、千円を意識して
いつも千円札では買えないものばかり買ってみせたところで
一万円札としての価値は生まれないでしょう。

これは千円も同じで
同じ価値として扱え!
なんて言い出してしまえば
千円の魅力も消え失せてしまうでしょう。

自販機なら使えるところの多い千円札なのに
その特徴としての価値すら捨て去り
一万円と同じにしろ!
なんて主張しても、
その存在自体を否定することになってしまいます。

つまり、
人は人として
自分の価値を知るときに
一番の魅力を生み出すことが出来、
一番、価値的に幸福に生きれるわけです。


そうした意味では平等ではあるのだけども
それぞれに価値が異なるわけで、
それを他人と同じにしようとするところで
価値を失ってしまう不幸が訪れるわけです。

自分らしく
ありのままの自分を受け入れて
自分として出来ることに挑戦し
自分の人生を生ききる事以外に
人が価値的に生きる術はないように
感じています。

それが社会的にどうなのか、
時代的にどうなのか、
他人から見てどうなのか、

なんて問題もあるにはありますが
そこを嘆いたところで
生まれてきた以上は
自分として生きるしか道はないわけです。

この中で生ききる為に
あがき、もがき、苦しみながら
自分としての価値を磨きあげる。

それが人生を謳歌する事だと思います。

最後まで自分の人生を生ききる。
その人たちだけが手にする事が出来る
宝玉が確かにあるように感じています。

宝玉を手にする日が楽しみですね(^^)