はいな。
ちょっと、ややこしい話をしますね。
日本は基本的には法治国家、立憲主義になります。
しかし、法律でガチガチにしちゃうと
例外や将来的な価値観の変化などに対応出来なくなるので
法律にはわざと穴をあけておきます。
情状酌量の余地とか、
法の中にも情を取り入れているのは
個人的には、とてもいいことだと思っています。
しかし、昨今は
セクハラ、パワハラなど
本人が嫌だと感じたら被害者となり、
訴えられれば加害者となるケースが出ています。
こちらは、法ではなく、情となります。
国際的にも人権被害において
今までは
「加害者側に意識があったかなかったか。」
を、
基本としていた為、
無意識による人権侵害に悩まされていました。
そもそも、ヘイトなどは
意識してない場合もあり
加害者を裁判しても防げないわけです。
そこで画期的な考え方が生まれてきます。
被害者が人権を侵害されたと感じたら
その時点で人権侵害があった。
とした、被害者視点によるものです。
これは、
人権と言う最優先されるべき権利を守る為、
冤罪であろうとも、
勘違いであろうとも、
とにかく、
人権を侵害されたと感じた人が
その人権を守る上で最優先するべき事柄なわけです。
間違いであっても、
まずは、その事を中止させる事!
これを第一に考えねばならない。
国際的な今の流れです。
これに乗り遅れている日本は
確かに人権後進国なわけですね。
でも、そうなると、
情により罪が決まるわけですから
他人が自分の事をどう感じているか、
自分の存在が、誰かのセクハラにならないか、
自分の発言が、誰かに迷惑にならないか、
自分の行動が、誰かに嫌がられていないか、
なんて、訴えられないよう気にし出すと
基本的には他人との距離を取ります。
職場などは下手にランチにも誘えません。
最近では臭いもハラスメントとのことで
お弁当を自席で食べるのすら
臭いを気にして食べれなかったり
または、
誰もいない所で一人で食べるようになったり、
人権侵害の問題から
何やら人間的な生き方が出来にくい社会になってきてます。
その点、ネットの知り合いは気楽です。
直ぐに切ることも出来ちゃいます。
職場は何かあると
生活に直結していますからね。
って感じで
昨今の恋愛や友達関係は
ネットを通じてが増えてきています。
なんか、変ですよね(^^;
情を法の基本とした方は
どのようにも出来るため
悪用されやすく
歴史的には痛い思いを
何度も何度も味わってきたはずです。
王が気分で裁きを下す。
とか、情ですね。
ハラスメントも
その人の体調や状況、環境で
嫌に感じる度合いが異なります。
それは他人では分からない。
となると、
やはり「障らぬ神に祟りなし」
となってきます。
逆に、そうして距離を置かれるのが嫌と
人権侵害されていても我慢する風潮すらあります。
本末転倒ですね。
やはり、感じたらと言った曖昧な基準より
そこは、しっかりとしたガイドラインを作成して欲しいものだと感じています。
ガイドライン以内なら
何をしてもいいのか!
なんて声もあるかと思いますが
そこは法律の問題で
法律は解釈の幅があるわけですから、
その解釈で抜けている部分はサポートしながら
守るものは守る姿勢でいいと思います。
僕は平等とは、自然や山のようなもの。
だと思っています。
忖度も配慮もありません。
でも、そこにルールがあり、
挑む側が自然や山に合わせて挑戦します。
山が登る人によって
高さを変えたりしません。
ルールとは本来、そう言うものだと思っています。
ルールが動かないから
いろんな工夫や挑戦があるわけで、
ルールが動き回っていては
工夫や挑戦も、やらなくなります。
今の主流は
個人に合わせてルールを作る。
ですが、
僕は人類に取っては
あまりよい選択肢ではないように感じています。