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【当ブログはすべてフィクションであり、実在する一切の団体、人物等と全く関係ありません。】

再掲載 『どくとるGのQ&A』 シリーズです。どくとるGとナースBの掛け合い形式で進めます。
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--どくとるG、本日のお悩みはこちらです。
 
『友人に誘われて、ある3千円のセミナーに出席しました。
 内容は
 「裏も表もない」
 「よいも悪いもない」
 「内面の男と女の結婚」
 という、聞いたことがない話でした。
 そして、もっと深いことを教えてくれるという 6万円以上の一日講座に出席するべきだと
 友人は熱心に勧めます。 どうしたらよいでしょうか。』
 
--どくとるG、『アレ』 ですね?
 
--そのとおり、『アレ』ぢゃよ。ナースB。
近畿発祥の新興宗教、OSSRIM教ぢゃ。
 
OSSRIM教の布教プロセスは、
 
①3千円のセミナーで、その人が持つ『欠乏感』を探り当てて、6万円超の一日講座に勧誘する。
 
②一日講座に出席すると、①のセミナーよりも 少しだけ踏み込んだ物言いをして、

 あたかも 「OSSRIMの秘儀の一部を伝えた」 かのような錯覚を与える。
 
③OSSRIMの全容を学び、欠乏感を完全に解消するためと称して、70万円超のカリキュラム
 「OGM(OSSRIMグノーシス(叡知) マスターコース)」
 の受講を強く勧める。
 
④OSSRIMを布教する側に立つことが有意義なことと思いこませて、

 60万円超の講師育成コースを受講させる。
 
信者でいる間は、毎年①から④の繰り返しぢゃ。
相談者さんは今、この①の段階に立っておる。
 
他に、教祖OSSCORの講話が毎月あって、本部でナマで聴いても、

地方の支部で録画DVDを観ても毎回1万円ぢゃ。
 
--毎年、新車を買うようなお金がかかりますね。
 
--まともにやれば、ぢゃ。
信者は必ずしも全部をやっているわけではない。③などは、省いてもあまり影響がないしな。
 
しかし、④の育成コースは信者にとって必須といってよい。
受講しないと 「肩身が狭い」 思いをする仕組みがあるのぢゃ。
 
本題から外れるから詳しくは言わないが、「金の切れ目が縁の切れ目」になるのは、間違いないな。
 
--相談者は、どうすればよいでしょうか。
 
--お金と時間がふんだんにあるのなら、好きにすればよいぢゃろう。
 
OSSRIMのセミナーを聴いて、迷いがあるというのは、あなたの中に何らかの
『欠乏感』
がある証拠ぢゃ。


『不安感』『不満感』『劣等感』 といってもいいい。
 
『欠乏感』
がない人間は、あのセミナーには何の反応も示さない。時間のムダと思うはずぢゃ。
 
だが、あなたは「受講しようか、どうか」を迷っている。
それは、あなたの内にある
『欠乏感』
が反応しているのぢゃ。OSSRIMはそこを刺激するのが得意。
 
ただ気をつけなければいけないのは、OSSRIMは
『欠乏感』
を見抜き、つけ入る力を持っているが、あなたの
『欠乏感』
を的確に解決する力があるわけではない、ということ。
 
「下手な鉄砲も数撃てば当たる」
というレベルの話ぢゃ。たまたま当たる可能性はある。
お金と時間をさんざん費やして、何の成果も得られない危険だってある。
「必ず変容する」
などというファンタジーではない。
 
そんなこんなを承知の上で、
「自己責任」
で判断していただくしかないのう。
 
--たとえ何があっても、何もなくても、
「これも人生の授業料だった」
とあきらめる覚悟があるなら、どうぞってことですね

 

 

組織というものに属していない現在の私

 

とても自由で良いですよ

 

生まれた時から親が新興宗教の信者で 信仰してこんな良い事があったという話ばかり聞いて育ったせいか 世間話が生ぬるく感じて 人とうまく話せない子でした

 

コミュニケーション障害 いわゆるコミュ障というやつですne

 

 

新興宗教の信者は 目に見えないものを信じてるので スピリチュアルとか占いや高次元などの神秘的なものも信じやすいですね

 

そういう神秘的なものに接触すると 取りつかれやすいそうですよ(この世のものでない存在に)

 

そうなると自分というものがなくなってしまうので 何やってんだろうと思うことをやってしまいます

 

私は良く知ってる人をミロスに誘ってしまいました

 

ここがしくじりポイントですね

 

親しい友人 兄弟姉妹 親が気の進まないものに誘ってきた時 きっぱり断る勇気を持て!!と言いたい

 

私の場合  親の縁で新興宗教 同級生に統一教会(最初は統一教会なんて言ってないですよ) 姉にマインドパワーを勧められました


よく知ってる人が悪いこと言うはず無いって思い込みです


誘ってる方もとりつかれてるので 良かれと思って誘ってます

 

今はミロスを人に紹介したことを後悔しています

 

その人に何回かミロスのことを(このブログに書いてあるよりだいぶ薄い感じで)言いましたが 理解してくれませんね

 

もはや何かに取りつかれていると思っています

 

 

私は 講師養成講座もPM(今はMWMコース?)も受けてないので ミロス理論をあまり知らないのですが

ミロス理論だけじゃお金を取れないと思ったのか いろいろ他の事もミロスでは教えてくれますね

例えば
鏡の法則
引き寄せの法則
心理学

受講生をずっとミロスから離さないため 他にもいろいろ言います

ロスコさんはニギハヤヒ
ロスコさんはキリストの生まれ変わり
クラブロスコに入れば助かる
ミロスで絶対平和の実現
先祖の代表として 先祖代々の傷を消す

(とにかくロスコさんはすごいんだぞと圧倒させるんだね)

人のコメントを無視する講師さん達に世界平和の実現が出来る??!

それは内側の話で 内側でプラスマイナスを合わせれば消滅します‥‥とか言われそう??!

講師さんに習ってか 身近にいるミロス人も私の事無視するんだよね

笑顔が消えましたよ

主な原因はミロスでしょうね

ミロスでは問題を問題とすることが問題
問題を問題にしなければ問題は消える
と言いますね

何も解決しませんね


お金はかえらなくても その人のまともな感性は返してほしい‥‥と思います





 

ヘンリーさんのセミナーで 文明は年数 距離共に大体同じ間隔で起きている

 

そして東と西順繰りで起きていると教わりました

 

そのように考えると今度起きる文明は神戸発祥でそろそろなんだそうです

 

どんな文明なんですかね?

 

ヘンリーさんはそれはミロスと言いませんでしたけど 受講生は何となくミロスなんかなーと感じるんですよ

 

そんな空気でした

 

 

 

ヘンリーさんのセミナーでは受講生は古代ユダヤの失われた十支族とにおわせていました

 

まだその話は続いていますかね

 

私はそういう話が大好きだったんで 十分その気になってました

 

昔父に『十戒』という映画に連れて行ってもらいまして 子供心に強烈な印象が残っているのです

 

モーゼの誕生から出エジプト 神様に石板に十戒を刻印してもらうところ わくわくポイントがたくさんあって面白い映画でした

 

 

中東から日本にはるばる来たユダヤ人の末裔という話は面白いのですが ひとつ違和感がありまして

 

貴族には必ずお付きの人がいるでしょう

 

ロイヤルファミリーだけで移動する?と違和感を覚えました

 

そして自分は絶対ロイヤルファミリーなんかじゃなかったと強く主張したいと思いました

 

お芝居するとしても絶対お付きの者役が良いですね

 

ロイヤルファミリーなんかになりたくないと感じる人もいると思いますよ ヘンリーさん

 

 

 

 

 

📺で確か林修先生が紹介されてました

 

そろそろですかね

 

 

 

私がミロスのセミナーに通ってた時 やすけんさんのミロス実践日記を読んだことがありました

 

アメブロ内でミロス検索したのか忘れましたが

 

読んだらひどいことが書いてあってとても信じられませんでした

 

ミロスにはまってたというんじゃなくて その時はミロスの講師さんはすごいことを知っていると思っていて それを分けていただきたいという気持ちだったのです

 

人が人にそんなひどいことをしないでしょうと思ってました

 

人を無条件に信じてたんですね

 

 

セミナーで実践がわからないと言った人がいました

 

講師さんは「ちゃんと理解するにはスクールで学ばないと」と言いました

 

病気の治し方を聞きたいと思ってライフコースに行きました

 

「あきらめてください」と言われました

 

じゃあ私がここにきている意味ないなと思いました(ライフコースは最後まで出ました)

 

ロスコさんが糖尿病で足を切断したと聞いて ミロスで病気は治らないと分かったし 病気を治そうとしない良くしようと努力しない 足を切断するまでになる人の組織にいたくないとミロスから離れました

 

ロスコさんの言った事がその通りにならないのに 信じ続けるのは何故なのか

 

理解できませんね

 

ミロスの悪口を聞きたくないというミロス人がいますが そういう人は 例えばいい気持ちで寝てるとき起こされると腹が立つように ミロス催眠にかかっているのかもね 

 

ミロス情報置き場はそういう人には読んでもらえないので ミロス初心者のためにあるところです 

 

ミロスとはどんなものかと客観的に考えられる人のために ミロスとはこんなところですよと経験者としてご案内するところであります

 

寝た子はなかなか起きないので 寝る前の寝られない人に読んでいただきたいと思っています

 

 

 

 

 

 

 
笑えます
 

 
 
ミロスで検索したとき心○屋さんのだいぶ前のブログが出てきました
 
ミロスの講師さんと親しい様子で ミロスのセミナーはオススメとありました
 
今はこの記事は外されてるのかありませんが
 
ミロスと心○屋さんの言ってることの内容も 驚くほど似ていて なんだかな~
 
人はお酒飲んでぐるぐる加減を楽しむように こういうセミナーで頭ぐるぐる状態を楽しんでやるのかな?と思いました
 
 
 
 

 

 

https://sites.google.com/view/shinjitsuokataru/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

 

このサイトに洗脳解除についてありました

 

 

 

 

洗脳解除のための支援方法

 

 

救出カウンセリングの基本

 

 

 

1.二つの方法

洗脳を解除するためには、大きく分けて2つの手法があります。

本人と対決して議論で説得する「脱洗脳」という方法と、

じっくり本人の話を聴いて自らが別の道を選択するのを支援する「救出カウンセリング」という方法の2つです。

北朝鮮に拉致されていた蓮池薫さんを、お兄さんが一晩かけて説得し、洗脳を解いて日本にとどまらせたのは対決方式でした。

これが「脱洗脳」です。

うまくいけば即効性がありますが、反発されるケースもあり、そうなると相手は意地になるので難しい面があります。

これに対して傾聴を中心に据える救出カウンセリングは、信頼関係をはぐくみながら相手に自分の道を選択させるので、時間はかかりますが手堅い方法です。

そのために現在はこちらの手法が主流となっています。

 

 

 

2.4つのプロセス

カウンセリングのポイントは4つあります。

第1に受容と共感的理解により本人と信頼関係をつくる。

第2に本人の中にある相矛盾する気持ち(両価的な気持ち)を明確化する。

第3に家族とのつながりを回復させる。

第4に自己価値を持てる(自己信頼の回復)ように支援する。

 

 

 

3.信頼関係を築く

まず前提として抑えたいことは、本人が信じ拠りどころにしているものを最初から否定する態度で臨むと、本人はまず心を開いてくれないということです。

それどころか自分の信じるものを守ろうとして防衛的になります。

結果、もっと固くなり、冷静に事態を振り返ることができにくくなります。

そこで、救出カウンセリングでは、共感的でありつつ中立的な姿勢を保ちます。

それによって「安心してありのままを話してもらう」ようにします。

裁かないで、あるがままの本人を、まず受け容れます。

本人の信仰を裁かず、そうせざるを得ない事情や心境を、本人の立場に立って理解しようとします。

これによって信頼関係を作っていきます。

信頼関係の中で話していくうちに、本人は自分自身に何が起きたのかを、客観的に見つめることができるようになります。

 

 

 

4.矛盾する二つの気持ちを語る

最初はその宗教などのよい面を話すのみであっても、やがてネガティブな面についても語り始めます。

自分が感じてきた違和感や嫌な面、矛盾を感じたことなども話すようになるのです。

こうして自分の中にある両方の気持ちを自覚するようになります。

信仰を続けるか、やめるかの両方で揺れる気持ちを話し手は味わいます。

ここで特に重要なことがあります。

それは相反する気持ちが同居した「両価的(アンビバレント)」な心の状態を「明確な言葉」で表現して、それを受け止めていくということです。

話し手が言った相矛盾する気持ちを、その両者をカウンセラーが「こういう気持ちがあるのですね」と確認していくことで、

話し手は自分で「両価的」な心の状態を自覚してゆくことになります。

ある宗教等を心の支えとして依存してきた人は、そこから離れていこうとするときは、必ず正反対の気持ちの間で揺れ動くことになります。

依存を脱して自立を回復したい気持ちと、依存しないでは生きていけないという不安や自信のなさを覚えるのです。

この両方の気持ちを、十分に口に出して話してもらうことが重要です。

一方に気持ちだけを口にして、宗教等をやめる決意を語ったとしても、抑圧されたもう一方に気持ちが膨らんでくると、簡単に決意はひっくり返ります。

特に対決型の手法ではこのことがおきやすいため、それがしばしば失敗の原因になります。

やはり、本人の中の「両価的」な気持ちと十分に向き合って、そのうえで自らがそれを克服するプロセスを踏まないと、後戻りしやすいということなのです。

今まで信じてきた宗教等から離れようかというとき、誰しも揺れ動く気持ちを味わうのは当たり前のことです。

ですからこの段階では、

両方の気持ちがあるのを当然のこととして受け止めて、それぞれの気持ちが、いまはどの程度あるのかを聞き、

それがそれぞれどういう気持ちであるのかを話してもらう

ことが大切です。

これを何度も繰り返していくうちに、それぞれの気持ちの「根底にあるもの」が、次第に見えてきます。

何が自分をそこに惹きつけ、そこに縛り付けているのか。何に自分が支配されているのか。

それがだんだん明らかになってくるのです。

自分を縛り付けているものが心の中に秘められているうちは、なかなかそこから逃れることができません。

しかし不思議なことに、一度口に出して自分を縛っているものの正体が見えてくると、支配する力は衰え始めます。

人はその思いの正体が自覚されていないと、その力には支配されやすいのです。

ところが、正体を知ってしまうと、その力は次第に統御できるようになっていきます。

 

 

 

5.根底にある欲求とは

宗教等に依存ずる気持ちの根底にあるものは、多くの人に共通しています。

多くの場合は「愛情やつながりを求める気持ち」と、「自分の存在や価値を認めてもらいたいという思い」が関わっています。

つながりへの欲求」と「自分の価値への欲求」です。

これは人が誰しもが持っているものではないでしょうか。

 

 

 

6.家族とのつながりを回復する

つながりへの欲求」では、家族との心のつながりを回復することが、特に重要になります。

家族との心のつながりが回復されないと、また別のところに依存せざるを得なくなります。

家族とのつながり、そして信頼関係を回復させるためには、まず家族が本人の言い分や気持ちを受け止めることです。

これが出発点になります。

本人が十分に自分の気持ちを語り、それを家族に十分に受容され理解されると、今度は家族の気持ちを聞こうという姿勢が生まれてきます。

その時に家族が感じていることや心配していることを、冷静に伝えていきます。

なによりも家族の変わらない愛情をつたえ、どんな状況になっても、本人が一番大切であることを伝えます。

こうした機会を、一定の間隔を置きながら繰り返し持つことで、家族の信頼関係は急速に戻り、

それと同時に、今まで依存していた宗教への思いも色あせていくようになります。

 

 

 

7.自分の価値に自信を持たせる

またもう一つ必要になるのは、依存している世界以外で、自分の価値を確認できるようにすることです。

知的能力や職業的技能を磨いて、社会で活躍できる場を広げることが必要になります。

経済的に自立することは、非常に重要な要素となります。

自分の力で誰かの役に立っていく、社会に役に立っている自分を確認していく。

それが自分の価値への確信をもたらしてくれます。

そこまで行くには結構困難なことがありますが、それだけに乗り越えたときには確かな自信がうまれ、自分自身を「まんざらでもない」と思えるようになるのです。

自分の価値の確認という点では、もう一つ重要な視点があります。

それは宗教によりどころを求める人は、えてして一般の人にはない鋭敏な心の感覚を持っていることが多いということです。

それは霊的な感覚です。

宗教性が抑圧されてきた現代の日本社会では、鋭敏な心の感覚(霊的な感覚)を持つ人は、疎外感を強くもって育ちます。

そういう他の人とは異なる感覚を持つことは、何かおかしいことのようにみなされて、よくないことのようにみなされがちだからです。

彼らは「自分の感覚が尊重されない」「自分が受容されない」、そして「理解されない」という苦しみを味わって生きています。

ですから彼らの疑問に答え、理論的な説明を与えてくれる心理学と、受容し共感的に理解してくれるカウンセラーが、必要となるのです。

 

種村トランスパーソナル研究所

所長 種 村 修

 

 

関連記事 「洗脳解除の役に立つ本」

http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/03/blog-post_30.html

 

 

やすけんさんのミロス実践日記 最後の記事です

 

コメント欄は見れなくなってましたガーン

 

残念です

 

↓↓↓

 

 

ブログを書くのは最後でもうミロスとは関わらないと言いましたが、皆さまご存じの事態なので、これからの事と対応について書きます。

 

 

 

メリーXmasさん(下村さん)のミロス脱税や裏組織との関係は根拠のない話との事なのでそれに関するコメントは削除する事にしました。

 

ブログは残しておきます。ここのコメント欄は商品レビュー、ミロスのクチコミブログとお考え下さい。

 

私自身とても貴重なものだと考えております。

 

今回の件、放っておいても良いかなって思いましたが、管理する者のモラルも問われますので、今後も含めて不適切なコメントは削除致します。

 

皆さまの体験談や感じた世界なので特に証拠が提示出来無いのならコメントしないで下さいという事ではなく、体験した事、実際に聞いた話、ミロスに感じる事を素直にコメントして頂いて結構です。

 

ただ、今回のように根拠のないデマや単なる悪口、誹謗中傷はご遠慮ください。(人としてのマナーは守って下さい)

 

殆どの方は今まで通りコメントして頂いて結構だと思います。

多くの人はミロスの提唱する原理が、本当に効果があるのか?お金を払ってまで聞くに値するのか、その環境や発言の真偽、いったい何がおかしいのかを知りたいと言うことです。

 

その辺りを踏まえてコメントお願いします。

 

私はもうミロスとは関わらないのでコメント返しもしません。

 

 

宜しくお願いします。

 

 

※コメントの一部削除により会話的におかしくなっている箇所がございますが、ご了承下さい。

 

 

 

少し前にいただいたコメントを記事にしたのと似てる内容ですが

 

「自分が特別な存在でありたいという願望」が宗教カリスマを信じ続けるしかないという状況に追い込む

 

幸福の科学の告発ブログ?

 

後ろに幸福の科学関連の動画が貼ってありましたのでリブログはやめました

 

この中で紹介されていたこちらのサイトはうなずけるものでした

 

https://sites.google.com/view/shinjitsuokataru/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

 

コピペ↓

 

過去の心の傷が、自分を神にせざるを得ない心理や、異常にお金に執着する心理の背景にあるのではないかと思います。

そうした宗教カリスマを信奉する人々も、同様の心理が働いていることが少なくありません。

「自分もまた特別でありたいと願いながら、しかし、何の確信も持てない人」にとって、「真理」を手にしたと語る存在、

根本仏の化身であると確信をもって語る存在に追従し、その弟子となることは、「自分もまた特別な出来事に立ち会う特別な存在だという錯覚」を生みます。

この信仰(妄想?)共同体においては、自分が「特別な存在」だと確信できるためには、指導者である宗教カリスマが真に特別な存在でなければならないのです。

もしこの指導者がインチキなら、自分は何ら特別の存在でないどころか、「ペテン師に引っかかったただの愚か者」になってしまうからです。

この場合、自己愛が大きく傷つき、そのみじめさは耐えられないほどとなるでしょう。

つまり、「自分が特別な存在でありたいという願望」が、宗教カリスマを信じ続けるしかないという状況に、その人を追い込んでいくのです。

それを疑うことは、自分が生きてきた人生の意味を否定するようなものとなるのです。

こうした心理が信仰(妄想?)共同体を支え続ける原動力となります。

しかし、信者や職員であっても、教団の中では、さまざまな理不尽さや矛盾を体験します。

でも、その矛盾や理不尽さと向き合い、教祖が特別な存在だという前提を疑うことは、自分自身の存在の支えを危うくします。

だから、一切の矛盾や理不尽さに目をつむり、都合の良い事実だけを見て、宗教カリスマを盲信し続けるしかない状況に陥っているのです。

こういう人は、それが妄想であったと本当に気が付いたときには、一つの精神的な危機を迎えます。

自殺願望も起きかねません。

なぜならその事実に目覚めることは、「長年自分を支えてくれた世界が崩壊」することであり、もはや何も頼りにできるものがなくなるように感じるからです。

ただ、「自分が妄想にとらわれて人生を無駄にしたという事実」しか残らないように感じます。

それはあまりにも過酷な現実と向き合うことを意味します。

ですから妄想が取れたときに、自殺する危険があるのです。

私自身、そのような心理的な囚われの中を潜り抜けた経験があります。

還俗してのち方向性を見失い、自分を作り直すために参加したところが、なお一層間違っていたのではないかと疑われる状況に直面しました。

私はその時に、真実に向き合うことを拒否して、自分が特別な存在であるから神が私に特別な任務を与えたのだと信じることを選びました。

そう信じた心の奥には、もしそうでなければ「私の人生は何だったのかという疑問に向き合うことへの恐れ」があることに、ひそかに気が付いていました。

でもそれを見ないことにして、盲信の道を選んだのです。

結果は惨憺たるものでした。

人生の完全な行きづまりを経験しました。

どうにもならなくなり、私の信念が妄想にすぎなかったと認めざるを得なくなったのです。

私はここまで来て、ついにそれを受け容れました。

しかし不思議なもので、そこから本当の意味で、新しい道が開けだしたのでした。

ですから私は信じている方々に言いたいのです。

真実と向き合ってほしい。

それがどれほど過酷な真実であろうとも、真実に向き合う勇気を出せば、あなたには必ず新たな道が開けます。

それこそが人生の真実ですと、そう申し上げたいのです。

私は、自分自身の経験から、今まで信じたものを疑うということが、どれほど難しいかを知っています。

またもしそれを受け容れることができたなら、今度はそれがどれほど深刻な精神的な危機をもたらすかということを知っています。

自分の存在そのもの、人生の意味そのものが根底から無意味化してしまうほどの、恐怖に直面させられるのです。

ですから、信者の家族や友人は、どうかその苦しみを理解していただいて、その人の真の価値を信じて寄り添ってあげてほしいと思います。

誰かがその人を心の底から信じて、愛のエネルギーを注いでくださったら、その人はきっと精神的な危機から立ち直ることができると思います。

私もまた、そうしたお手伝いをさせていただきたいと願っています。

 

種村トランスパーソナル研究所 所長 種村修