28家族の肖像 濱之助一家初の嫁入り(6)
教育面では、校長以下全職員を東洋精糖の職員に任用し、児童の授業料も教材費も会社持ちとした。校舎は増築され、6年続いた二部授業に終止符が打たれた。 東洋精糖は本社を日本の統治下にあった台湾に置いて、14年前の明治40年(1907)創立、折からの砂糖好景気の波に乗って事業を拡大してきた。大東島の製糖所は7つ目、大東進出当時は第一次世界大戦による「大戦景気」の真っただ中、勢いそのままの事業展開だった。 この動きを濱之助はどうみていたか。18年後に出身地の八丈島の新聞「南海タイムズ」(昭和14年9月3日付)に感想が記載されている。見出しは「大東島開拓の先駆者」「四十年振りに帰郷す」とあってう「大東島も製糖会社の会社的経営で非常によくなりました。(略)八丈も変わりましたね。一番驚いた事は水道が布かれたことですね。それから道路もよくなったですね。何もかも皆んな変わってしまひましたよ」(続く)