モスクワ留学から帰り、はや1ヶ月半が過ぎようとしている。

明けても暮れてもロシア語しか見えない聞こえないスペシャルな環境の中、何と自由で贅沢な(どちらもココロの…である)日々を送ってきたことだろう。

モスクワの人達は総じてあまり豊かではなさそうである。メトロ(地下鉄)に乗っても、日本なら数十年まえの姿、メトロというよりレトロな車両は、重たい鉄の扉が耳をつんざくほどの音で閉まり、走っている間はおよそ隣の人の声も聞き取りにくいほどの振動音がするのである。

車両の中で人々を観察する……
服装は質素である。黒っぽい服装が多いためか、車両の中は華やかさや賑やかさは感じられず、どちらかというと暗い雰囲気だ。

しかし、メトロのそれぞれの駅はとても美しい天井と壁を持ち、美術館さながらの彫刻で飾られ、オペラ座のようなシャンデリアが温かい光を放っているのだ。

何十メートル掘ったのだろう?と思うような深くて長いエスカレーターは高所恐怖症の私にはとてもショックだった。
こんな恐ろしく長いエスカレーターを駆け上がったり降りたりする人間はいないだろうと思いきや、若い人たちはまるで普通の道を走るかのようなスピードで駆けおりる。事故が無いのだろうか?

モスクワのメトロは色分けされていて、正式な名前のほかに、赤色の線、黄色の線…というように呼ばれている。初めてでも、ホームを案内する色に従えば、間違いなくたどり着ける。合理的だと思った。
方向音痴の私にはありがたかった。

留学していた学校でも、女性の先生方も地味であった。黒やグレーを好み、大きな背丈に合わせた大きめの天然石のピアスやネックレス、指輪がよく似合い、お金をかけずにお洒落にこだわる姿勢は好感が持てた。彼女たちはブランドのバッグなど持たない。上質な革のバッグでスマートなデザインが多かった。

モスクワの人たちは音楽や文学、美術を愛している。先生たちがプーシキンの名前を口にする時、気持ちが高揚し、弁舌に熱が入るのがよくわかった。
「プーシキンは師であり友であり恋人である。彼はロシア語の素晴らしさを教えてくれ、人生を教えてくれた」と。

日本にはそんな国民的アイドルのような文豪は存在しない。
トルストイ、ドストエフスキー.....
重いテーマを深い洞察力で掘り下げた壮大な文学を数々送り出したこの国の尊大さに敬意を表する。

そして、美術館には長蛇の列が常にある。
小学校からか、子供達が円陣になって絵や彫刻の説明を若い先生から聞いている。
こんな年頃から、ホンモノのアートに出会い、感性を揺さぶられているのだ。
日本とは全然違うな、と思った。

長い歴史に生まれ、苦しみ、育ってきた壮大な芸術〜それをどの国民もたやすく享受できる、そんな環境の中にいるのだ。
羨ましい〜と思った。

ロシアは今や自由主義経済の国になった。
国民全体がスマホを持っているような、私たちと変わらない生活を送っている。

しかし、背後に見え隠れする芸術へのホンモノ志向、透視力にはとても追いつけない。

だから、モスクワの人々はロシアが大好きだ。旅行でヨーロッパにはよく行くが、モスクワを離れようとはしない〜そんな気がした。

自分たちの国の芸術には誇りと自信を持っていて、愛しているから…

今日、日本の山口をプーチン大統領が訪れた。
両国の信頼関係が良くなって、国民も仲良くなって交流が盛んになってほしい。

来年の「ロシアの季節」と名付けた日本でのイベントが今から楽しみだ。