創二のこと
明治四十三年一月十日
飯田市白山町六九六二番地に、久保田善次郎、さくの長男「信夫」として生れる。
善次郎の稼業は桶屋で、小鳥や盆栽に趣味をもち、さくは近所の子女に和裁を教
え、浄瑠璃や小説を読んで聞かせるなど、そのまわりはいつも賑かく、信夫は大き
くなったら画家になれ。」と字も上手な創二の才能に期待した。のち一弟一妹が
生まれる。
大正五年四月
上飯田尋常高等小学校尋常科一年入学。
後年創二は、この長い校名を婦人会などへ講演に行った折、詠みあげるように、語っ
てなつかしんだ。
創二の、悪戯を叱られたときのいいわけはおもしろおかしく、相手を笑わせてしま
うことはしばしばで、始めは奇襲戦法が効を奏した少年相撲でも、行司としての頓
智の方が、かえって大人の喝采を呼んで、ラムネやゆでたまごなどが与えられた。
いまも飯田市内白山神社の奉納相撲の額に、「行司鈴の音信夫」の名をみることが
できる。
この年母さくが三十三歳で他界し、間もなく善次郎は後添キウを迎える。出稼ぎが
ちな父と母の死にっぐ継母の出現は、その後の久保田家と創二の生涯に陰を落す。
創二の少年時代は、俳人小林一茶の生いたちを思わせる。
大正十年四月
上飯田尋常高等小学校尋常科卒業。
大正十年五月二日
