神道(しんとう)八百万(やおよろず)の神々 | 毘沙門天の隠れ家

毘沙門天の隠れ家

毘沙門天とは、上杉謙信が崇拝した神様です!

上杉謙信は毘沙門天の生まれ変わりだと言って
いたそうだが…だとしたら脱け殻に拝んでも
意味無いじゃん!!プププ♪

気まぐれで更新します。許してニャン♪(笑)


あなたの宗教は何ですか?

きっと、えーと…無宗教かな!?
とか言うんじゃない?

実は知らぬ間に「神道」は身に付いているんですよ!!

日本人の生活に馴染み過ぎて
気付かないんだよ!

例えば、お宮参り、七五三、
初詣、厄払い 、神前結婚式、
地鎮祭、魂入れ


みんな「神道」の行事です。


苦しい時の神頼みも???そうだよ






■ 1:神様(崇拝対象)

◎ 神道:八百万の神

神道は、複数の神様を信仰の対象とする多神教です。
中でも神道の神様は「八百万の神」と総称されるほど数が多く、太陽や月といったどの宗教でも神様になりそうな自然物から、東照大権現といった人神、お米や貧乏といった少しスケールの違うこまごましたものまで、森羅万象の様々なものを神格化しています。
神道における最高神は、太陽を神格化した「天照大御神(アマテラス)」であるとの考えが一般的です。



■ 2:教典

◎ 神道:教典は存在しない

神道には、キリスト教における聖書やイスラム教におけるコーランのような、教義を記した教典が存在しません。

というのも、神道の世界観は、全知全能の神によって支配されている世界ではなく、様々な神様の力を借りて成り立っている世界というイメージなので、生活文化から発展したそれらの神々の力を上手く借りられる方法論が教義の元になっています。

そのため、絶対的な神の教えというものが無いのです。
言語化された教義もなく、しいて言えば、満足に暮らすための日ごろの様々な行いそのものが神道的考えの実践と言えます。
日本書紀や古事記などが聖典視されていますが、これらは物語的な歴史書なので、教義が詳細に書かれているものではありません。



■ 3:聖職者

◎ 神道:神職(神主)、巫女

神社における聖職者といえば、烏帽子をかぶり袴をまとった「神職」です。

主に、「神主」という名称が一般には広まっています。神主は、神社に仕えて歳事や社務、祈祷などを行う役職です。

ちなみに、神道にはキリスト教や仏教のように明確な教義が存在しないため、参拝者に対する説教は行いません。
また、神主の補助をし、神事の際に神楽や舞を奉仕する巫女も存在します。

ちなみに、巫女になるには資格などは必要ありません。





■ 4:宗教施設

◎ 神道:神社(鳥居+参道+社殿)

神道における宗教施設といえば「神社」ですが、当初、神様は大木や山といった自然物に降り立つものとされていて、神社はイスラム教のモスクのように、祈りを捧げる場でしかありませんでした。

しかし、時間がたつにつれて「神様の臨時の依り代」という考えが発展し、依り代が置かれた土地に大規模な神社が建てられるようになりました。

そのため現在では、神社は神様が祀られている参拝場所としての役割を持っているのです。
神社は一般的に、入り口に「鳥居」があり、鳥居の先にある「参道」の脇には手と口を清める「手水舎」、その先には神様が祀られている「本殿」、という造りになっています。



■ 5:参拝方法

◎ 神道:二拝二拍手一拝

神社では、お賽銭を入れた後、2回礼をし、手をパンパンと叩いて、もう一度頭を下げる「二拝二拍手一拝」という参拝方法が一般的です。
ちなみに、神社への参拝は、穢れを清めるためのお祓い方法の一つに数えられるもので、「今までの穢れを清めて、心機一転の決意表明をする」という意味合いがあります。

そのため、「お金が欲しい」といったような自分に都合のいい願い事をするのは、本来の目的からは少しずれています。


日本人は古来より、自然の全てに神が宿ると考えていました

その土地で暮らすことを神々に感謝する為、神社を造って祭りました


グループ分けすると、氏神様、
式神様、時神様 等に分類されます。


雷神、風神 、縁結びの神、安産の神、受験の神・・・貧乏神も!






こちらは、もっと分かりやすく書いてあるので転載させて頂きました。


ひふみ塾  夜回りブログ

http://s.ameblo.jp/hifumijuku/?frm_id=v.jpameblo


街中の赤い鳥居、田んぼの中のこんもりした森、山の頂の小さな社、全国至るところに神社はあります。

神社のある風景、それは映画やドラマでもおなじみの、ごく身近な、しかし日本にしか見られない独特の風景です。

このような神社を中心とした、日本の神々への信仰が神道です。

神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。

遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。

自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。

人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。

また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。

そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。

やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。

このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。

そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。

神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。

さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊も、神として祀られました。

奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、多くの神々の系譜や物語が収められています。

神道の信仰が形となったものが祭りです。

祭りは、稲作を中心に暮らしを営んできた日本の姿を反映し、春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝するものなどがあり、地域をあげて行われます。

祭りの日は、神社での神事に加えて神輿や山車が繰り出し、たくさんの人で賑わいます。

神道の祭りを行うのは、神社だけではありません。

皇室では、天皇陛下が国家・国民の安寧と世界の平和を祈るお祭りを行われています。

また、家庭では、神棚の前で家の安全、家族の無事を祈ります。


これも小さな祭りといえます。


家の中にも、水の神様、火の神様、トイレの神様も居るのです。
(時神様と言って、正月に旧年中の感謝と本年の無事を祈って鏡餅を捧げます)




神道のもつ理念には、古代から培われてきた日本人の叡智や価値観が生きています。

それは、鎮守の森に代表される自然を守り、自然と人間とがともに生きてゆくこと、祭りを通じて地域社会の和を保ち、一体感を高めてゆくこと、子孫の繁栄を願い、家庭から地域、さらには皇室をいただく日本という国の限りない発展を祈ることなどです。

このような理念が、神々への信仰と一体となって神道が形づくられています。

また、神道には、神々をまつる環境として、清浄を尊ぶという特徴があります。

神社は常に清らかさが保たれ、祭りに参加する人たちは必ず心身を清めます。

これら神道の理念や特徴は、日本人の生き方に深く影響しているといえるでしょう。


神道は、日本の民族宗教といわれ、日本人の暮らしにとけ込んでいます。


たとえば、初詣や厄除、初宮参りや七五三、結婚式や地鎮祭など、神道の行事は日常生活のいたるところに見かけることができます。

しかし、一般の日本人は、あまりにも身近なせいか、神道について知らないことが多いのも事実でしょう。



如何でしたか?

日本人の日本人らしさは古来より続く『神道』にあったのです。

信仰とは、なんぞや!?

それは入信して学ぶものではなく、日々、森羅万象の八百万の神々に感謝の気持ちを持って生きることではないでしょうか。


「ありがとう」


この気持ちこそ日本人の魔法の言葉