ドキュメンタリー映画
『湾生帰郷物語』
台湾にて絶賛上映中
日本統治時代に台湾で生まれ、敗戦と同時に日本へ引き揚げてきた日本人をテーマにしたドキュメンタリー映画、『灣生回家』(日本語名:『湾生帰郷物語』)が今台湾で話題を呼んでいます。
映画そのものは、ほとんどの会話が日本語なので、日本人でも理解できるはずなのですが、いかんせん宣伝や報道は台湾人向けで中国語なので、日本人には理解できません。
ところが、今日「3分半で理解できる『湾生回家』」 というビデオが公式のFacebookに上がっていたので、ここでシェアしておきます(ビデオそのものは、公式が作ったものではありません)。
https://youtu.be/sRDA_ldLm8w
アニメを見れば、中国語がわからなくてもだいたいの意味は分かると思いますが、文字でも少しビデオの内容をまとめておきます。
・「湾生」とは、1895年から1946年の間に、台湾で生まれた日本人を指す。
・湾生は、血統から見れば日本人だが、台湾を故郷だと思っている。
・「湾生回家」は、台湾と日本の血統を持つ田中実加が、200人以上の湾生にインタビューした映画である。
・1895年から、下関条約によって、日本は台湾を統治し始めた。
・日本は開拓の遅れていた台湾東部へ日本人を移民させた。
・移民したところは、手つかずの自然だった。
・初期に移民した日本人は、伝染病や原住民の攻撃によって多くが死んだ。
・花蓮県に最初の移民村「吉野村」ができた。
・「吉野村」は未開の地から、当時非常に先進的な地域になった。
・1945年、日本が戦争に負けて、湾生は日本へ引き揚げざるを得なくなった。
・湾生は全ての財産、全ての人間関係を放棄して、ほとんど着のみ着のまま、一度も見たことすらない日本へ引き揚げざるをえなかった。
・日本へ帰った湾生は、日本生まれの日本人ではないせいで、日本人から歓迎されなかった。
・さらに、政府には台湾の疫病をもたらす疫病神として、隔離された。
・湾生には補助金も計画もなく、歴史の陰に忘れ去られた。
・数十年が過ぎて、湾生は故郷に対する思いを訴え始めた。
tps://youtu.be/ii_AgiBRcnQht
台湾の反応ブログ様より転載
【台湾の反応】台湾で生まれた日本人「湾生」たちのドキュメンタリー作品『灣生回家(湾生の帰郷)』が台湾で話題に!!
台湾人「涙が止まらない...」!!
2014年10月19日22:00
「日本が間に合わなかった記録、そして、台湾が忘れた記録」…第二次世界大戦後、台湾に在住していた40万人あまりの日本人が日本へ送還されたが、そのうちのおよそ半数は、台湾で生まれた日本人、いわゆる「湾生」と呼ばれる人たちだ。
台湾と日本の血を引く作家、田中実加(台湾名:陳宣儒)さんは、12年の歳月をかけて200名の「湾生」のルーツを追い続けてきた。
18日、その経緯を描いた書籍「湾生回家(湾生の帰郷という意味)」の発表会が花蓮市内の門諾醫院で行われ、同日夜には、花蓮文創園區で、同名のドキュメンタリー映像作品も初公開され、多くの人たちが、涙ながらに映像を鑑賞し、湾生の物語に聞き入った。
ドキュメンタリー作品は、4年前、田中さんが花蓮で自己の人生を探す湾生をサポートした経過を記録したもの。田中さんは、1910年、日本からの大量の移民がはじめて台湾に移植し、日本人村「吉野村」を建設したが、それが現在の花蓮県吉安郷に当たる。その縁から、花蓮を、台湾各地で巡回上映会を予定しているドキュメンタリー作品の初公開場所に選んだと説明。生前、田中さんの家で働いていたお手伝いさん夫婦も湾生で、二人の台湾でのルーツを探すことを約束していた田中さんは、画家としての仕事以外にも、自宅を売り払ってドキュメンタリー作製のための資金づくりをしてきたという。10数年来、田中さんは142名の湾生の出生記録を入手してきた。田中さんは、湾生たちの感動は、やっと自分が生まれた証明を探し当てたことから来るものであり、この感動が、田中さんを励ます原動力でもあると語っている。
会場には、ドキュメンタリーの主人公のひとりである松本洽盛さんも日本から駆けつけた。松本さんは、水牛とよく遊んだ花蓮での少年時代をなつかしく思い出す、名前に使われている「洽」という字は、台湾のお坊さんがつけてくれた字で、台湾でこの文字を名前に使っている人と出会うと親しみを覚えるといい、しみじみと、台湾にはもう20回以上戻ってきているがやっぱり台湾はいいところだと語った。