『半沢直樹』へのコメント~No.1~ by 天野弘昌牧師
去る日曜日に46%超の瞬間視聴率で終了した。
ドラマも内容が伴えば大衆は喰いつく。
特に最終回は、勧善懲悪からの脚本ではないのか?と、スッキリしない。何か続編を匂わせる。しかし、原作をみると、
その理由が分かるようだ。
『半沢直樹』に、様々な講評、コメントのある中、
元銀行員(現JPモルガンチェース)から牧師に転職した関係でコメントしたい。
かつての自分ならば、たぶんドラマに単純に、共鳴共感して充足感を覚えて
終わっていただろう。
しかし今の私は、聖書と言う規範で物事を考えるために…これではまずい!
半沢、何とか癒されて欲しい!と願うのである。
彼の銀行員としての有能さと知恵深さ、及び実行力には拍手👏したい。
しかし、幾度となく流れる回想シーンが、ある意味全てを露わにする。
彼の力の根源は、父を自殺に至らせた復讐、怨念と言う負の力と言える。
最後に、仇大和田へ土下座を促す場面が、クライマックスに当たる。
演技派の両者のシーンは圧巻だった。役作りに驚嘆した。
また、大和田のプライドや自我が邪魔をし、
素直に謝れない場面は、人間の罪性に染み付く悪魔的な
力を彷彿させた。
聖書には、『復讐は我にあり』とある。その意味は非常に深くて重い。
人が親の敵討ちのために生涯を費やす歴史は数多ある。
さて、そのような人生は、本当に幸福なのだろうか?
だからと言って、何もせずに無抵抗、消極的な平和主義は如何なものか?
私達のよく持ちがちな、憎しみや怒り、ゆるせない思いを
どのように処したら良いのか?
聖書には、その処方箋、ノウハウが明確に記述されている。
半沢直樹にも、ぜひ伝えたい! また次回に…