子どもたちの会話を聞いていると、

「ぼっち」という単語が割合によく出てくる。

「ひとりぼっち」、の意味だ。



ある晩、LINEのグループトークをしていた夫が、


「自分が参加すると、

途端に(書き込みの)反応がなくなるんだよな・・・シラー」と、ぽつり。



その数日前に、中学生の子どもが、


「ぼくは、クラスでも部活でも

どのグループにも入っていなんだよ。

仲間外れってわけじゃないよ。

浮遊してるみたいな感じで。

ぼくって、どんなキャラクター?」と、話しかけてきたばかりだった。


因みに、家庭訪問などでの先生からのコメントでは、


「特定の子と仲良くしてはいないけれど、

だれとでも仲良く打ち解けていて、問題はないようです」というものが多い。




それから更に何日か経って、

小学校高学年の子どもが、


「ぼくは、ぼっちなんだぜぃ。」と、

突如、何の脈絡もなく、私に話しかけてくる。


「そうなんだ?」と返すと、


また、

「そう。ぼくは“ぼっち”だ」と、

ともすると、自慢げに言う。




そういえば、

彼は、学力や運動面で取り立てて問題はないように見え、

普段の生活面も平穏無事に送っているように見えるのだが、


幼稚園時代から、

「友だちがいない」と、言うことが多い。


かと思えば、

「ぼくは、この町に友だちがたくさんいる。

女友だちもいる」とも言う。




それから更に1ヶ月くらい経って、

高校生の子どもが、


「おれは、中学からずっと“ぼっち”なんだ」と、

独白をしてきた。

いつもラインで連絡が来たり、

部活の仲間と行動したり、休日も時折出かけていく。

日常の会話でも、

「今日、おれの友だちが、●●したぜー」などと、話しかけてくるのにも関わらず。




男性の本音を聞く機会はあまりなかったので、


「なるほど、

社会生活、学校生活、問題なく過ごしているように思うけど、

疎外感というべきか、孤独感というべきか、

多くの人たちが感じやすいものなんだ」と、思った。





何もうちの家族だけが、

特別な人々ではないと思うので、



地域の会合のときも、

学校での集まりでも、

(今はないが!)教会の集まりでも、


特に、一人ぽつんとしている男性たち、


もしかすると、グループで楽し気に話しながらも、

盛り上がっている他人と、心から楽しめない自分との違いを感じて、

なおさら複雑な思いになっている場合が

予想を越えて、遥かにあるのかもしれない。





こんな書き方をすると、


私が「疎外感、もしくは孤独感」と無縁の人物に思われるかもしれないが、


家族と比較すると、


多くもなく、少なくもなく、

標準的に持ち合わせているように思う。




バラバラの状況で、

バラバラの表現を用いて、


また、私が誘導したわけでもなく、

家族、それぞれから唐突に出てきた話だったので、



つくづく、舞台裏を見せてもらった気がした。