昨年の9月に文先生がご逝去されましたが、
9月の半ばと、なぜだか勘違いしていました。
私は、今はそんな自信もありませんが、
人の誕生日や学生時代に学んだ年号などの数字も
どうかすると、割合、覚えている方でした。
しかし長年、信者であった宗教団体の教祖の亡くなった日を覚えていなかったとは・・・。
今日、ふと、
「そろそろ、その日だったのでは?」と思い、
ネット検索をしたら、
すでに、過ぎ去っていた、というわけです。
もっとも韓国での行事は、
陰暦中心となるので、
その話は、8月のこととなるのでしょう。
そんな風に、
私の心の中では、
教会のことが、
善しにつけ、悪しきにつけ、
「遠き日々」となっていますが、
信者のみなさんにとっては、どうなのでしょう。
どういったことを感じる日となったのでしょうね。