私はよく寝る方だ。
実家でも今の家族の中でも、一番よく寝ているようだ。
実家にいる時は、
「また寝てるのね!」という声で、昼寝、うたた寝から目が覚めた記憶も何回かある。
また、嫌なことがあると、
現実逃避をすべく、寝てしまう。
「何時間眠れるか、挑戦しよう!」と、冗談半分本気半分で布団に潜ってしまう。
眠る時間がもったいない、という言葉もよく耳にするし、
確かにそういう考えをもつ人がいるのも理解できる。
しかし私にとれば、
眠ることも、全く無駄な時間ではないのだ。
常時、夢をみたり、霊と交信(?)することもないが、
しかし、
眠ってしまっている時間に対してすら、
充実している時間だという、実感がある。
実際、気力が足りないなあ…と思うときに、思う存分眠ると、
目覚めた後には、気力がチャージされている。
そんな私なので、
教会での集団生活で一番しんどかったのが、
早起きと慢性睡眠不足になることだった。
朝起きられないことや
眠りに振り回される教会員は、
色情因縁が強いという話もしばしば耳にした。
何とか克服したいと思っていたが、
無理だった。
大体、今現在においても、
「眠り」において、人々が知っていることは、多くはないだろう。
だから、よく眠る人が、色情因縁が強いとか、
睡眠不足で働く人が偉いとか、
安易に決めつけらることも、今思えばないわけだ。
とにかく過去を振り返れば、
教会生活における私の恐怖は、
「眠れないこと」と「実績が出せないこと」だった。
睡眠時間が少ない人に取れば、
いつも寝ている人は、怠惰に見えることだろう。
「パープルさんは、また寝ていますね(´∀`)」と、
からかいにしても叱咤にしても
言う側と、聞かされる側とでは、
だいぶ深刻度が違うのだ。
今は、一日何時間寝ようが、
そんなことについて何を言われる生活を送っているわけでもなく、
大体、何時間寝るかより、
生活の中での役割をこなせているかどうかが重要なので、
そんな恐怖感からは、解き放されている。
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