結婚相手の家族、一族が教会員という友人と、祝福を受けた当時にこんな会話をしました。


私「いいねえ。○○さんの旦那さんの家族は、みんな教会員なんだ」

友人「そりゃそうよ。

私、祝福前は、“家族みんなが復帰されている人(=教会員の意)”って、願ってたんだもの!」

その話を聞いて、

私は、(その手があったのか!)と思いました。


彼女にもそんな面が多分にあったと、

この文章を書いていて思わざるを得ませんが、

お祈りすれば、すべて叶うという、典型思考みたいで嫌ですが、


でも、私も、その話を聞いて、

予めそうやって、お祈りしておくべきだったと、

当時、感じたのは事実でした。



今は、その人とは音信不通のため、

どのような暮らしぶりをしているのかは、わかりません。



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他人からはどのように見えているのか分かりませんが、

近年の私には、現在の教会組織が色褪せて見えていますが、


それでも葛藤も比較的少なく、活動を支えるべく、前向きな純?教会員として見える方たちは、

周囲のネットワークが確立されている方たちが多いように見えます。


オーナー会社みたいに、

教会の、例えば壮年部長などという役割があるかどうか知りませんが、

そういう役のある方たちの、配偶者同士が(血のつながった)兄弟とか、

親子で教会員とか、双方の親子で教会員とか・・

ビジネスでパートナーを組んでいる人たち同士とか、


教会員同士プラス、その他の強固な関係をもっている人同士も

割合にいるように感じます。





教会の教義が真理ではなかった、と

自分が自分を納得させる、結論を出すまでは、


ざっくり書けば、

夫婦しか教会員ではなかった、我が家においての、

子育てというのは、

私としては、かなり深刻なテーマでした。


双方の家族が何人も信者であり、祝福家庭であれば、

そのネットワークの力を借りて、

子どももその方面に導けるのに、

と思いました。


親子や親族までもが教会員の立場にある方たちは、

教理が真理であるかどうか、

組織がおかしなところであるかどうか、

それを探ろうとするのは、ものすごい勇気が必要なことであり、

それまで構築していたものを全部、

最悪、壊さなくてはならない事態も想定せざるを得ません。


私も、入信前には、

それまで問題もなく生きてきたわけだったので、

教会員になると宣布することで、

家族や親戚、友人たちとの関係を破壊する覚悟をしなくてはならず、

それで元に戻らない関係も、かなり生じました。



そうなると、

そこそこに安定した関係の中で、

まずまず合格点に達成できるような生活をしている信者さんにとり、

真理の追求や組織の健全さを問う以前に、


自分たちや自分たちの家族を守るために、

無意識にその問題に目を背けていたとしても、

それはそれで理解ができるようにも思います。




教会の中で生きていようと、外で生きていようと、

人間関係の中で生きていくということの、

恵みと、一方で大変さと、

両方の存在を感じます。



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インドでは、カースト制度がありますが、

ランクの違う者同士の結婚は不可能であり、また宗教が違う者同士も同様です。

現代の若者は自由恋愛を好む傾向があり、

そうなると「名誉殺人」なるものにつながることもあるそうです。

家族から逃れるためのシェルターの存在もあります。



※名誉殺人;家族や部族が名誉を守るため、

同じ身分など親同士の決めた結婚相手との結婚を拒む者を殺害する風習。

カースト間の差別意識の強い、インド・パキスタン・中東で頻繁に行われている。

犠牲者の大半は女性であり、インド政府によると、年平均千件近く起きているという。









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