教会で、悪霊や先祖の解怨のイベントが始まったころに、
丁度、私は家庭をもち、また妊娠や出産が何回かあり、
引越しも数回したり、求職・退職を繰り返すなど、
家庭生活に意識が行ってしまったためか、
解怨摂理とは、知らないうちに、随分と距離をおいてきたのだと、
今頃、気付いています。
清平のことは、教会関係の出来事の中で、
私の心に占めている割合は相当、低かったのですが、
現・元問わず、教会に関係のある方たちの話題には、よく清平のことが取り上げられており、
自分として、「どうであったかな?」と、振り返ってみたところ、
本当に接触が少ないことの一つであったことに、改めて気付かされました。
喜んで行っていたのは、最初の2回だけであり、
3回目、これが最後になりましたが、21日修練会に参加したときは、
喜びよりは、義務で行きました。
でも3回目参加後、1年くらいの間は、
日本から先祖解怨献金をしたら、
(記憶が怪しくなっていますが)7代解放?まで70万円?が必要であり、
どうやったら費用を捻出できるか?と、考えていた記憶があるので、
2002年くらいまでは、
清平に対しての信仰があったということになります。
しかし記憶がはっきりとあるのは、その辺りまでで、
その後、
家族や友だち、知人が、
清平に行ってきた、と報告をしてきても、
(ふーん、そうなんだ)としか思っていませんでした。
たまに、
「だからパープルさんも行っておいでよ!」と言われると、
(余計なお世話です!)くらいは思いましたが、
うらやましい、
私も行かなくては、
という気持ちには、丸っきりなっていませんでした。
多分、3回参加したところで、
端的に言って、効果を感じなかったので、
意識が逸れていったのだと思います。
身も蓋もない表現ですが、
清平に行かずとも、
本来であれば、教会に通ったり、祈祷をしたり、教理本を読んだり、
周囲の人とのコミュニケーションがよくなる実践に励めば良いのであり、
清平に、時間と費用をかけて通い、何もメリットを感じなかったとしたら、
足が遠のくは、自然なことだと思います。
ですので、
参加した人たちの報告を聞くと、
(食事や睡眠、トイレ関係が大変じゃなかったのかなぁ)くらいの感想しかなかったのです。
清平の思い出と言えば、
その生活関連のことで、
結構、みんなが、椅子とりゲームみたいに、
先を争っていたり、譲り合いなど忘れてしまっているかのようなふるまいをしていたことが
思い出され、
私自身も、そんな生活を正直したくはないし、
教会員さんたちのそんな様子も見たくなかったこともあり、
それらが参加を渋る理由の一つでした。
最後となった、その21日修練会参加にあたり、
夫には、
「今回行かなくても、次が絶対あるから、またの機会にしてよ」
と、言われました。
「絶対、いつまでに参加しないといけないと、煽るけど、
みてごらん、次が必ずあるから」
と、何回か言われました。
その当時は、
(何て合理的に物事を考えられる人だろう!)と感嘆する一方、
(でも、もし本当に最後だったら、
ただでさえ、条件に引っかかる生き方をしているのに、
もっとマズイことになる)
と、私は本気で思いました。
丁度、当時の夫の会社の上司の中に、
教会員がいたので、
上司が夫を説得して、
結果として、押されるようにして私は参加をしました。
数ヵ月後、やっぱり、次のイベントが始まっていました。
考えてみれば、
あの広大な施設を維持しなくてはならないので、
「これが最後!
これに参加しないと、後孫まで大変なことになる!」
と、言ってみたところで、
その後、解怨のイベントをしないというのは、現実的には無理なことです。
また、その21日修練会参加後、しばらくして
ある教会員さんとお話をしていたら、
その方のご主人さんは、全く先祖解怨を信じていないとのこと、
「あの人、現実的だからねえ~(TωT)」と、言われていました。
その話を聞いて、私は、
(そんな人もいるんだ!神も恐れない!)
と、ビックリしたのが、
清平を、自分が信じていたと思われる、最後の記憶です。
多分、2002年くらいなのではないかと思いますが、
今は、逆に、教会員さんをビックリすることを
私が、何気に言ってしまう立場かもしれませんね。