あるとき教会で、自分の献金袋を探していました。
礼拝にもあまり参加していないので、
我が家の献金袋は、グループの班長から渡されるよりは、
封筒挿しのようなところにいつもささっていることが多かったのです。
しかし、その教会に所属して間もない私は、
自分が何班に属しているのかわからず、
少し探し当てることになります。
自分の名前を探していて、封筒表に毎月の献金額や名節の献金額が書いてあるのに気付いてしまったのですが、
「あれ、みんな意外に献金していないんだな!」と、正直思ってしまいました。
こんなこと書いてごめんなさい。
みなさん、事情が千差万別であるのですから。
でも元信者であり、今は組織に属していないので、お許しください。
うちも余裕のある暮らしはしていませんが、
しかし教会で言われるところの名節は、暗黙の了解で、\1,000以上は納めるべきだと思っていました。
当時は、収入のうち、10分の3を献金しなさい、と言われていたようでしたが、
さすがにそれは無理だったので、
10分の1をしていました。
今、思い出すと笑えてしまいますが、
夫の給料明細を見て、それを10で割り、1円単位まで出していました。
つまり献金額が、「\15,643」とかになっていました。
割り切れないと、四捨五入までしていたのですから、
やはり私も、なんかズレている人ですね(・・。)ゞ
じろじろ見たわけではなく、
数枚分ちらりと見てしまったのですが、
名節や10分の1献金でも、
何家庭かが、300円、500円とか書いているのをみて、正直、びっくりしました。
今までのブログには、
「献金は感謝の額ですべきだ」と書いていたのに、
今度は、「小額で驚いた!」と書くなんて、
不届き千万ですが、
なぜそんなことを書いているのかも、以下に記しておきます。
封筒の主の、1人の方は、私に何度も、
「礼拝にはちゃんとでないと、だめよ」と、常日頃、言うような人でした。
しかし、
10分の1の献金と、礼拝出席と、どちらの優先順位が高い、
とか、ないと思うんです。
そして、全ての教会員に当てはまるわけでは、当然ありませんが、
要領の良い人たちは、
負債を感じやすい教会の活動にも残りやすいのではないかと、
その時に、偏見に満ちた思いを抱きました。
なぜならば、
10分の1献金をしていなくても、
他の教会員を堂々と諭したりできているわけです。
確かに、とめどなく献金摂理が押し寄せてくるので、
10分の1献金は、最低額に留めて、
それらの摂理献金を優先させたいと思うのは、よく理解できます。
というか、元々、どこにどんな形で献金しようが、
それは本人の自由です。
ですので、今日の記事は、そこに焦点を当てて書いているのではありません。
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攻撃は最大の防御なり、と言いますが、
波動の強い人や堂々としている人が、
正しいと思われやすく、また立場的にも有利になりやすいように思います。
同じような行動をしていても、
びくびくしていたり、腰を低くしていると、
足元を見られてしまうとでも言うのでしょうか・・
こんなことを書くと気分が悪くなる方もおられると思いますが、
でも事実、そんな風に思っています。
今はわかりませんが、
私の思い出の中に残る教会では、
実績を詰められて、説教や注意を受けることが少なくない場所でしたが、
叱咤激励する側と、
ただそれを聞く側と、
温度差が随分あるものだと、
その封筒に書かれた献金額をみて感じた、当時の思い出話です。