前回の記事は掃除の話でしたが、

今日も、少々、掃除の話です。


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


私の子どもが幼稚園を卒園した後の頃の話です。


幼稚園で知り合った母親(Eさん)と、親しくなりましたが、

ちょっとした行き違いが、子どもの卒園後に生じました。


中々地域に打ち解けられないという思いがあったので、

当時の私は、結構、被害妄想が強くなっていました。

そんな折、何度かの偶然が重なり、Eさんからの連絡が途絶えてしまい、

私は、意図的に連絡をもらえないのだと思い込んでしまいました。



その時に、Eさんとの共通の知人、幼稚園のF先生を訪ねました。



F先生は、とても地味な先生です。

3年の付き合いがあればこそ、なおかつ、

私の子どもの中に、一筋縄でいかず、非常に手のかかる子どもがF先生のクラスとなった経緯があり、

そのゆえ、通常より多く、先生とのやり取りをしてきたため、


F先生をすばらしい人だと思うようになったのですが、

そうでなかったら、

特にこのような感想を持つことはなかったと思います。




F先生に、Eさんとの経緯を話すと、

「Eさんならそんなことないよ、パープルさん」と明るく言われ、

次の話題に移っていきました。


しかしすっきりしない私は、更にEさんの件を繰り返そうとしました。


するとF先生は、

「パープルさんは、今、引越しをしてしまって、

周囲にかつての知り合いがいなくなってしまい、

1人になっちゃったから余計そんな風に思ってしまうのよ。

何か行き違いがあったはずだってば」と言い、


それでもグチグチしている私に、

「パープルさん、そんな風に考えちゃダメ!」と言って、

いきなり例え話を始めました。



「車の中が汚いのがイヤだから、ポイッと窓から道路にゴミを捨てる人もいる。

街が汚れたらイヤだから、

外のゴミを拾って、自分の場所にゴミを持ってくる(拾う)人もいる。

でも“きれいにしたい”というのは、どっちも一緒なんだよね」と言いました。


「外にゴミを捨てたら、外はゴミだらけになるよね。

外のゴミを自分の所へ持ってきたら、自分の所が汚くなるよね」



そして、

「でもどっちも一緒でしょう?

自分の車をきれいにしたいか、

街をきれいにしたいか。

どっちもきれいになる行為なんだから」と、続けました。




それから、

それまでにも親同士の付き合いの話が出ていた関係から、

「私やパープルさんみたいに、

お母さん同士、(一個人として)仲良くしたい人もいるけど、


子ども同士が友達だからという理由だけで、そのお母さんと仲良くしたい人もいる。


でも、どっちもいいのよ。そんなに限定して考える必要ないし、

全の面で一致して、友達にならなくてはいけないっていうわけでもないしね」と言いました。





Eさんの話をしていたところに、


突然、ゴミの話が出てきたので、

私は、「はあ??」と内心思いました。

(※はあ?は呆れた意味ではなくて、頭が切り替えられなかった意味です)





帰宅後、F先生は、さて、一体何が言いたかったのだろう、と考えてしまいました。

多分、私はEさんのことで、結構凹んでいたので、

頭が簡単に切り替えられなかったのでした。



少し時間が経つと、

ようやくF先生の意図とする内容が理解できました。





文章が長くなりそうなので、

続きは次回にします。







にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村