今日は、精神世界の話でもなく、教会の話でもなく、

単なる人付き合いの話です。




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数年前、子どもが幼稚園児だった頃の話です。



幼稚園は一斉に終了するので、

保護者が園庭で解散まで待っています。

その他、親子行事も多く、園に顔を出す機会も頻繁にありました。


私は、地方に住んでいますが、


住んでみて分かりましたが、

地元出身の方が意外に多く、保護者同士で親戚関係の方などもいました。


それに加え、

(子どものうちの)長子同士が友だちだった、子育てサークルでいっしょだった、など

元々の知り合いの人も多く、

お母さんたちのグループや仲良しというのが、結構ありました。



そんな中、

当時、その地域に越していって間もない私にとり、

園の行事参加や毎日のお迎え時の園庭での待機は、

本当に苦痛極まりないものでした。


合計3年間ありましたが、

しかしその年によっては、保護者の雰囲気や、ちょっとした顔見知りができていたときなどの条件の違いで、

苦痛をさほど感じなくて済んだ年もありましたが、

総じて居心地の悪さは、今でもしっかり記憶にあります。


その点、都市は、いろいろな人々がいるので、

あまり息苦しくないかもしれない、と

思い、悩んだこともありました。

(しかしそれが本当かどうかは知りません)



慣れることもないかもしれない、とあきらめていたのですが、

しかし1年ごとに何らかの形で知り合いが増え、

その地域を去る頃には、

そんな居心地の悪さもあまりなくなりました。



所在無く1人でいた頃、

ネットの相談サイトで、私と同様な内容で悩む主婦の投稿があり、


「親しげにしている人たちを見かけても、

意外にその人たちが仲良しでなかったり、

会話の内容も聞いてみれば、それほど親しくもなく、あまりに他愛ない話ばかりをしているものです」

という主旨の回答を読んだことがありました。


信頼している先生のサイトでしたが、

「えーそうは言うけど、

どう見ても、他人からはそう見えないよな・・・」

悩みの渦中にいた当時は、そんな風にしか感じられませんでした。



しかし今、

友だちや知人と話をしていると、

1人でぽつんといる人が視野に入ることがあります。


私はおしゃべりですし、あまり悩んでいるような感じにも見られないので、


そんなとき、

うるさい人!とか、溶け込んでる!とか、

1人で立ち尽くす人たちに思われているのかな、と思ったりすることもあります。




しかし、そんな立場の違いは、

意外に“ちょっとした差”なんでしょうね。





そうして、過去に読んだ、相談サイトの回答通り、


多くのケースは、

その場限りの会話が多く、

相手と自分が、盛り上がっているほど、

実は、さして親しくないこということを、

今では少し理解できます。














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