先日観察行為の結果として防衛機能の外しの話しをしました。
少しも大物を発見できると、それを外すことが出来ます。
そんなこんなを繰り返していると、
私を防衛機能無しでみているということになります。
はい、ありのまま見ているということです。
観察している初期は抑揚がたくさんありますが、
少しずつパワーを外していくと、
淡々と私を見れるようになってきます。
自分ひとりで他者は居ないので、
外向けの化粧をする必要はありません。
いい行動とか悪い行動とか判断する必要もありません。
そんなことが体感できると、ジャッジするってことは、
外向けのための機能なんだなとわかる。
と、思考ってもの自体が外向けのためのものなんだなってわかる。
すると、離れられる。
という一連のお話でした
私自身はそういうことを、“血を入れる”行為と呼んでいます。
知識というあまりに2次元的なもので
ストップしていることを皮肉るものです。
知識であれこれ考えていても、
思考のイミテーション機能には一生勝てませんよ。
一旦血を入れて体感したものは、捉えられます。
病院でそういうものを経験したことのある人にはわかりますが、
造影剤みたいな話です。
入れたらはっきりわかります。
思考の世界の中は、江原さんの言葉でいうと、
しょせん「ヒューマニズム」の世界です。
書き始めの最初に戻りますが、
そういう人生前半のプログラムが内側に蓄積されていますので、
それらに“血を入れて”捉え、取り出し、
人生の後半へとすすんでいかれることを願っております。
早いですが、年末の挨拶と代えさせていただきます。
文章力がなく、つたないブログでしたが、ご購読ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。
ありがとうございました。