改めて、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」という観点から世界を見直してみることが有益ではないかと思った。
目に見えるものは与しやすく、「科学」との相性が良かったためたくさんの研究がなされてきた。
他方で、目に見えないものも様々な場面で研究が重ねられてきたが、近代になって科学に押され、「あやしい」ものとして取り扱われる傾向が強くなってしまったのかも知れない。
しかしここで改めて、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」を両方とも偏りなく大切にしたほうが良いのではないかと感じる。
たとえば、「目に見えるもの」視点では、「お金は1円でもたくさんあるほうが良い」と考えられる。でも「目に見えないもの」視点で見てみると、単にお金という単一的なものとしてではなく、様々な波動を帯びた、一つとして同じものは無い存在として見えてくる。それは、単に人間といっても一人として同じ顔や同じ性格の人はいない、というのと似ている。
あるいは、「目に見えるもの」視点では、私もマザー・テレサも天皇陛下も、人間という枠組みでは大差ないものとして感知されるけれども、「目に見えないもの」視点では、波動的観点において果たしている役割が全く違っているという見え方もあるかも知れない。
そうすると、「豊かさ」とはお金をたくさん持っていることという意味ではあるけれども、それと同じ割合で、手にした「もの」や「こと」を慈しみ感謝できる気持ちの質と量をも意味しているといえるのではないか。
あるいは人間の価値や効力感は、この物質界においてどれだけ多くのヒト・モノ・コト・情報を動かしているかで見てしまうことが多いかも知れないが、本来は、それと同じ割合で感謝の心や慈しみの心の広さと深さも大切のような気がする。
さらにいえば、あの楠の大木とこの小さなタンポポの存在感は、波動的に見ると逆転してタンポポが巨大で楠が小さいということもあるかも知れない。
また、体のエネルギーソースがあるように、心のエネルギーソースのことにももっと思いを馳せたほうが良いかも知れない。体は食べ物からエネルギーを得ているが、心は幼い頃のワクワクする記憶や「おかえり!」と言ってくれる温かい家庭からエネルギーを得ているかも知れない。
