さて、思いのままに綴ろうと思い、10年前の告知をされた直後から手術の頃を振り返ってみようとした。


ところが、あの時のどん底の出来事や気持ちに心が向かない。

多分、辛すぎて、そこへ意識を持っていかないように無意識の間にしてきたのだと思う。

じゃあ、あたたかい思い出に目を向けよう。


辛い時期、手を差しのべてくれた人。

息子がお世話になっていた塾の塾長。

大病が分かり、周りの人はどう声をかけていいのか分からず、距離をとる人ばかりの中、塾長は積極的に色々なことを教えてくれた。

精神的なこと、食べ物のこと、水のこと、呼吸のこと。

どれだけ救われたことか。

塾長から食べ物の大切さを教えられ、私は食事療法を始めた。手術に臨む前から、食事を変えることができた私は幸運だと思う。

この10年、ナチュラルハイジーン、星野式ゲルソン療法、アルカリ化食事療法とその時々自分の体の声を聞きながら一貫して食事には気を付けてきた。

そのおかげで、卵巣を取ったにも関わらず、更年期障害に悩まされることもなかった。

また、この時期はひどい花粉症だったのに、薬を飲まずに過ごせるようになった。

食事療法には否定的な意見もあるが、私は間違いなく食事を変えることによって体質を変えて免疫力を上げることができたと思う。



10年前の今日、私のブログは止まった。

帰りは夜と書いたその日、私は、子宮平滑筋肉腫という難治性の希少がんを告げられた。

5年後、10年後は私はこの世に存在するのか・・・

あの日から、常にそういった世界にいた。

 

10年経った今、私は存在している。

0才だったトイプードルのハルは10才のシニアになった。

中学生だった長男は昨年新社会人になった。

小学生だった次男は、今月大学の卒業式。

夫は定年まであと何年?という世代になった。

 

なぜブログに再び手を付けたか・・・?

私は7年前、肺転移をして、その時点で5年生存率7パーセントと言われた。

生きていることの方が珍しい。

とはいえ、克服したとは自分では全く思ってない。

転移を経験するとがんは一生侮れない存在と思うようになった。

ただ10年という節目に

希少がん平滑筋肉腫になって思うこと。

生き抜くために自分がやってきたこと。

軸となった郭林新気功のこと。

そんなことを気が向くままに書き留めておこうと思った。

これからも、この先もずっと生き抜いていくために。

今は、病院の待ち時間得意げ

今日は、都内まで来て、帰りが夜になるから、子供達やハルルのことが気がかりです。

午前中にカレーとサラダは作ってきました。ちゃんと温めて食べて、塾や公文に、それぞれ行ってくれるかなかお
ハルルは、ハウスに入れずにきたから、和室でお漏らししたり、いたずらしたりしてないかなしっぽフリフリ

待ち時間、読書の時間に最適です得意げ






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