ひろの会は、大切な方をなくした人が自分の思いや体験を語り合い、悲しみを分かち合う場です。


大切な方の死は深い悲しみと苦痛をもたらします。そうしたメンバーの心の傷の回復を共に歩みます。


死別の悲痛から回復するためには、悲しみや自責の念、つらさ、怒りなどの様々な感情を表現していくことが大切です。同じような体験をした人が語り合っていくうちに、少しずつ心の重さが軽くなるかもしれません。


ひろの会では、どんな話をいくらしてもいいし、話したくなければ他の方の話を聞くだけでもかまいません。話したくない人に話をするよう強制はしません。

ひろの会は特定の宗教や営利事業とは無関係です。
東区総合福祉センターを会場とし、毎月第3土曜日午後2時からが活動日です。

分かち合いでの約束

1.ここで聞いたことは、参加者以外の人に話さないようにしましょう。話されたことをノートに取ることはしないでください。
(安心して話せる場にしたいからです)

2.話したくないときは話さなくてもかまいません。話したければ、同じことをくりかえし同じことを語ってもいいのです。
(発言を強制することはしません)

3.みんなが話せるよう配慮し、一人で話し続けないようにしましょう。
(みんなで悲しみを分かち合いたいからです)

4.他の人と比べた話は、控えるようにしましょう。
(悲しみを比べるようなことはしません)

5.参加者同士が、励ましたり、アドバイスしたりなどはしないよう、そして自分の考えを押しつけないようにしましょう。
(痛みが一人ひとり違うことを大切にします)

6.他の人が話している時はおしゃべりせず、最後までよく聴きましょう。
(気持ちよく話せるようにするためです)

    ひろの会は聞くことと語ることを大切にする場所です。

7月の豪雨災害に続いて、9月には台風21号、そして北海道の地震と、大きな災害が次々と起こり、とてもしんどい思いをされているのではと心配しています。

 

大きな災害が起こり、多くの人が亡くなる、あるいは多くの人が被災されると、被災しなかった方やかろうじて助かった方、メディアで知った方々も強い衝撃があり、さまざまな思いを抱くのです。

 

今現在グリーフの中にいらっしゃる方々は、心的外傷があるのと同じような反応が出るのではないかと思っています。確証があるのではないですが、ご自身の気持ちを外に出すことに対して、罪責感を持たれることが多い気がします。

 

ここ数年、母の介護でほとんどのセッションに参加していないのですが、最初のころのセッションで強く感じたものでした。

 

最初のころのセッションの時、東日本大震災がありました。その時のお話を思い出しています。亡くなられた方に対して、怪我をされた方に対して、物理的被害が大きかった方に対して、後ろめたい気持ちがあると言われたことが印象に残っているのです。「こんなことを言っていいのかと思うのですが」と、話される前に言葉を足される方が多くいらっしゃいました。

 

またその当時、「同じ悲しみ」を探しておられる方がいらして、「夫を突然亡くした人でないと私の悲しみはわかってもらえない。そんな人を集めたグループを開いてほしい」と強く望まれ、枠外でスタッフに接触したり、参加された方に接触しておられました。

 

おそらくそれらもすべて、「悲しんでいること」を理解してもらいたい、本当の意味でわかってもらいたいと思われているあがきのようなものだったと整理しています。

 

ご自身の悲しみをいくら話し、つらさを訴えても、悲しみを話す代わりに、ご主人や孫の自慢をされるのも、満たされない思いをされていたのだと思います。

 

自助グループですので、聞きっぱなしですから、なんらアドバイスをすることもなく、ただ否定をすることなく聞くだけです。さぞかしつらかったのではないかと思われます。

 

言葉で表現することなく、自分の悲しみをなかったことにすることがあります。これを否認と言います。自分の悲しみや思いを否認(なかったこと)すると、しばらくは平穏に過ごせます。

 

しかし、何らかのきっかけで、すぐに怒りっぽくなる、イライラするなど、全く違う方向から制御できない感情に振り回されることがままあります。

 

向き合うことはとてもしんどくつらいこと。だけど、きちんと向き合わないと何年たっても、何十年たっても、突然襲ってくるしんどさに振り回されることになります。

 

何も感じないときは乖離の可能性もあります。これについてはまたゆっくりと話したいと思います。

 

ご自分のことを責めないでください。冷たい人間だと思わないでください。後ろめたい気持ちを持つことは傷ついた方にはとても多く起こること。悲しみから心を守るために、いろいろなことが起こります。

 

大丈夫です。一人ではありません。ひろの会は自助グループです。先ゆく仲間としてスタッフが、ともに歩く仲間として参加者がいます。いつもの時間、いつもの場所でお待ちしております。

 

 

 

 

 


 

平成30年7月豪雨の日、私は山口県で仕事をしていました。夕方4時に院長が、高速が止まりそうだから帰れと言い、早退して熊毛インターから高速にのりました。

 

岩国で下されて、2号線を走り、後ろから2号線の通行止めが始まりました。夜遅くなり、大野を通り過ぎる頃、マナーモードにしていた携帯から避難情報が鳴り響き、あまりの渋滞に違う道をと思っても、どこもかしこも通行止めでした。

 

やっとの思いで矢口までたどり着くと、54号線にもどって市内から入り直せと言われ、通行止めの中、知り合いのナビゲーションで盲学校の裏を走り、何とか水の少し残る高架下を走り、行けませんと言われたところをお願いして自分の団地に到着したのは10時30分過ぎでした。

 

家は停電も、断水もしていませんでしたが、道を川のように水がながれ、駐車場に鹿が逃げて来ていました。車から降りると、何とも言えない嫌な臭いがしていました。土? ドロ? 木の根? よく分からない臭いでした。

雷が鳴っているようなゴロゴロという音もしたので、慌てて家に入りました。車から人が降りたら、すぐにヌートリアが車の下に走り込みました。

 

翌朝、家の窓から外を見たら、何か様子がおかしいので、屋上までいって下のほうを見たら、ドロと瓦礫で道が埋まっているのが見えました。

 

土曜日の仕事をキャンセルして、家から出ないことにしました。なぜか軽いそう状態のようで、考えがまとまらず、何も手につきませんでした。とりあえず、ご飯を炊いてオニギリを作り、停電にそなえました。お風呂にお湯をためて、トイレや生活用水にすることにしたところまでで、記憶が確かではありません。

 

うちの近くの谷は、たまたま10年くらい前に軽い土砂崩れがあり、その時に防災工事をしてもらっていました。隣の谷はまだでした。

 

近い道から見ると、山の上から土砂と大きな岩がゴロゴロと流れ、家も何もかもなくなっていました。

 

あっという間に1ヵ月が過ぎました。思った以上に大きな災害になったことを、まるで現実感もなく受け取りました。学校に行っても、水がなく、いつもの道は通れず、水は回復しましたが、道はまだまだ回復していません。山口県も同様です。

 

しかもものすごい災害クラスの猛暑です。 この中で、どのように皆様がお過ごしかと思うと胸が痛みます。

 

73回目の原爆忌もきました。世の中に多くの悲しみがある中、自分の悲しみがちっぽけに感じられることもあるでしょう。そんなこと、いつまでも思っているなんて、贅沢のように感じられることもあるでしょう。

 

でも、忘れないでください。悲しむと言うこと、モーニングワーク、グリーフワークはひどく個人的な営みで、世の中と比べるものではありません。一人一人が本当につらいのです。自分の悲しみや自分を粗末にあつかわないことです。

 

皆様は一人ではありません。分かち合う仲間がいます。いつもの場所でお待ちしています。

日時 7月21日(土)午後2時~4時
会場 広島市東区民文化センター3階 大広間

参加費 200円
予約は不要です。

終了後、広島駅南口で食事会をします。

問い合わせ 谷川

 電話 082-221-5285

 mail enkoji@mx4.tiki.ne.jp

 
「ひろの会だより」6月号

http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hironokai.pdf