aoi keitaのブログ
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お団子がだめだったので次に食べたかったたこ焼き屋にいったがあまり食欲はない。


でもここで帰ると後悔しそうなので。

「買って外で食べる」ということをたまにしたくなる性分なのだ。



私は絵になることや非現実的なことが好きだ。そとでたこ焼きを食べることが絵になるかどうかは別として。。


桜並木の下でお団子を食べるとか、

雨の降るあまり人通りのない朝、神社で雨宿りするとか。


とにかく買って、そして先ほどの古本屋で「it~」を買い、広場でたこ焼きを楽しんだ。


平日の午後5時過ぎ。皆家路に向かって歩いている。


まだ明るい。青空の白い月に気付いて見上げ立ち止まった人は何人いただろう。


ぼうっと過ごす人、散歩の休憩をし家に電話をかける人。


そのなかでたこ焼きをほおばっているわたしはどのように映ったのだろう。



私が音楽をすることをやめても、ここにいる誰一人の生活も世界も変わらない。誰も分らない。


世界は目まぐるしく動いている。いまの生活をやめたらここで働いている方のように働くのだろうな。


わたしもその中の一部だ。


音楽をやって働いていてもその一部になれるのだろうか。




「職業というのは本来、愛の行為であるべきだ。便宜的な結婚みたいなものではない」  (村上春樹著「東京奇譚集」より)

また特にいつも見る雑誌や、あまり興味の持てない流行の本のまえを通り過ぎ


絵本の前で立ち止まった。




えほんは子供用なのに深く、こわいものが多かったりするようにおもえる。


生きることを教える最初の本だから あたりまえか。


大人はもう生きることに頭を使っているから、考えなくてもいい本が売れる。様に思える。



中に見覚えのあるものが幾つかあった。絵本には不朽の名作が多いようだ。


懐かしくページを捲りながら意外と内容は覚えていないことに気付く。絵は覚えているのに。


自分が読んでいたころを思い出す。




本屋で最後に読んだ「あきちゃんとこん」

だったかな。こんという狐のぬいぐるみが女の子を最後まで守って守り抜いて。じぶんはぼろぼろになりながら

「だいじょうぶ、だいじょうぶ・・・」と小さな声で何度も何度も呟く。


自分に置き換えてまた涙ぐむ。


自分はいろんな人やものに生かされている、助けられている、守られている。



音楽をやめることを告げた唯一人の人物とこんの台詞が重なって、自分が自分ひとりの力で生きていけるなんて、なんて傲慢なのかと。自分にとってどんなに大切な人に、両親に守られているか。


音楽をやめたから、もう今日から手が痛くてももう悩むことも苦しむこともない。


とりあえず今のことを考えて音楽のこととか、将来のこととかじゃなくて

今だけ自分の生きていることを考えて生きてみてもいいかな。







新書にもむかし観ていた漫画のコーナーにもほとんど立ち止まらず

目に付く本はないかと半周位したところで

虫の写真集を手にとった。


虫は大が百個つくくらい嫌いなのに、なぜか見入ってしまった。


気持ち悪いのに綺麗。


気味が悪くてなぜか惹かれる。


勿論それが写真だからだ。


触れないし飛ばないから安心してじっくりみられる。


なんとも異様で綺麗な色をしていて、生きるための格好をしていた。


虫や鼻や動物の姿を見るといつも、人間の人間でいるもどかしさ、

「生きてる意味」を考える自分のくだらなさを思い知る。





なにか読みたい本はないかと背表紙の題名を手がかりにひとつひとつ見ていたが

どの背表紙をみても魅力的な題名がない。


惹かれない。


まるで自分のつまらないとるにたらない人生のようだ、なんていった本に失礼か。


そのなかで手に取った二つ。


ひとつはDVDだが。



「かまち」


昔図書館でこの少年の本を読んで受けた衝撃が甦った。


生きてる意味のあるとるにたりる人生とはこういうものか。


生きることに一生懸命で才能もあった子が17までしか生きることを許されなかった。


それをはるかに超している自分。もっと大切に自分を「生きて」もいいんじゃないかと思う。



「itと呼ばれた子」


これも話題になった当初本屋で見かけショックを受けたが読まなかった。


シリーズになっていたのでそのなかの一冊「指南編」を捲ってみた。




こういうときによむ本や出会う人、なぜかそのときの自分にリンクというか必要な言葉や文章に出会う。


今朝の東京奇譚集もそうだ。


いささか考えすぎなところもないでもないが、


私はそういうことにいちいち必然を感じられずにはいられない。


少し立ち読みをした後、隣のビルに入って

当初の目的のひとつ、本屋へいく。