津留晃一さん講演会「空間認識」 その9「痛みの取り方は、呼吸に意識を合わせる」 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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痛みの取り方 「呼吸に意識を合わせる」
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津留晃一さん講演会「空間認識」 その9

―なんか、分かるような気がしてきました。

さっきまでは、「そんなこと言ったって」って。
「そんなこと」という否定がまだあって…

(否定する自分が)居たでしょ。
それをキャッチするんです。
私の話に「そんなこと言ったって」
という反発、グワッってくるでしょ?

「あー、居る、居る、居る、居る」。
これが自己発見なんです。

―今は、ちょっと、ないんです。

そうですね。
自分で気付いて、自分で発言したから。
ずーっと聞いていて、
自分に意識が向いてるから、
気付くようになるんです。

―はい。ありがとうございました。

いい、質問ありがとうございました。

司会から)ほかに質問のある方、
いらっしゃいますでしょうか。


―(Yさん発言)
私、体が健康でないと
幸せになれないと思ってるんですよ。
これもまた価値観ですよね。

私、体にどこか痛いところがあっただけでも、
気分がイライラしたり
憂鬱になったりするんですよ。

さっきも、頭が痛くなって
休憩時間に薬飲んで、治まってるんですけど。

痛みというのを否定してて、
痛みを取り去る、そういうことしか
考えられない。そういう肉体的な…

はい、ありがとうございます。
まさに、こう場にピッタリの質問かと思います。

さっき言ったように、
「空間がない」「肉体は幻」ということは、
「痛みも幻」なんですね。

でも、これは頭で処理しようとしないでくださいね。

で、やっぱりね、
強い痛みの場合は、挑戦しないでください。

でも、痛みっていうのは、
いろいろ程度があるでしょ?
強い痛みだったら、薬飲めばいいんです。

でも、ちょっと痛い、
というときもあるでしょ。
そのときを狙ってやってください。

いいですか。
「よし、絶対逃げないぞ。
この痛みと(一緒に)ここに居るんだ」…。

このとき、呼吸に意識を合わせてください。
まず、一生懸命、呼吸してる自分を作ります。
自分の中に二人の自分を作るんです。

自分の中に「痛い、痛い」と
言ってる自分が居るわけだから、
もう一人の呼吸してる自分、
「痛い痛い」と言ってても、
いつも呼吸してる自分が居るでしょ? 
自分の中に。そうでしょ。

呼吸忘れた人います? 
心臓も動かすのを忘れた人いないでしょ?
必ずもう一人居るんですよ。
自分の中に。だから、そっちに
意識を合わせてあげるんです。 まず。

それできますから。激痛でなければね。
「ああ、痛いなあ」・・・
「そうだ、呼吸に意識を合わせよう」って。

で、呼吸をしてる自分を感じます。
そこから、いいですか。
痛み博士になってください。
いまそこで、痛み大学の痛み学科に入学してください。

で、卒論書かなきゃいかんのですよ。
Yさんは、卒論書くために来てるんです。

痛みの分析をしてください。
痛みってどんなものなのか。
どのへんにあるのか。
どの位の大きさなのか。
塊があるのか。
ブヨブヨしたゴムのようなものか。
鉄のように固いのか。
深さはどの位にあるのか。
いろいろ細かーく、
観察していくと分かってきます。
言ってること分かりますか?

そこまで徹底的に
見てると、消えちゃうんです。

消そうと思ってやらないでくださいよ。

最初にやること。
最初にやることは・・・・。

今のYさんだったら、
「あっ、きた」「これ何とかしよう」
「そう言えば津留さん言ったから、
あのテクニック使ってなんとかしよう」、
そうなるかもしれません。

そうすると、その人が働き始めるんです。
それは自我ですから、
その人が働いてもうまく行かないんです。

分かりますか。
自我のすることはうまく行かないんです。

皆さん、これも絶対覚えて帰ってください。
自我には何もすることができない。
「することできる」と思ってるでしょ? 

それが真っ赤な誤解なんです。
自我がやってることはこんなもんです。

皆さん息を止めようと思ってください。
止められますね。
1分、せいぜい2分。

で、しばらく止めてるとどうなります?
「はー、んはー、んはー」って、
また取り戻しちゃうわけです。
元に戻るわけです。自然な状態に戻るんです。

この世界には、一人の集合意識が居ます。
全部そのシナリオの基に動いてます。
それを変えることはできません。

で、歪めることはできるんです。
でも歪めたものは戻されるんです。

だからまず、「痛みをなんとかしよう」
という自分が出てくるでしょう?
その自分をつかんでください。

「あっ、来た」「『イヤだ、イヤだ』
と言ってる自分がここに居る・・・」
って。居るでしょ? 

今質問した人がその人ですよね。
「私、肉体の痛みいやなんです」
って発言したでしょ?

その人は今自我の中に入ってたんです。
Mさんはその世界から発言したんです。

そこで呼吸に意識を戻してください。
そこでその自我から出るんです。

自我の中から浄化しようとしたって
うまく行かないんです。

だから呼吸に意識を合わせる。
すると出ます。

私という存在があります。核があります。
心臓動かしてる私という核です。

私という領域の中に、
いろんなミニ自我が居るわけです。

で、この袋が想念なんです。
「痛いのイヤだわ」という想念があるんです。

それ、いつ育ったかっていうと、
Yさんが子供の頃、
お母さんが心配してくれるんです。

「痛い」っていうと、
「イタイのイタイの、飛んでけー」
とか、何とかしてくれるでしょ?

そういうのを見て、
「『痛い』っていけないのかな」って思う。

また、兄弟が居て、弟叩いたりすると、
「そんなこといけません!」って。

「あ、『痛み』って悪いことなのかな」
って思うようになるんです。

そうして、「痛みは良くない」
ってミニ自我ができるわけですね。

そうして自己意識がこの(袋)中に入ると、
意識に大きさありませんから、
これを無限の大きさとして感じるんです。

そして、この「痛みイヤだ」という
自我の中に入って、そこから世界を見てるんです。

だから、まずこの自我袋から出ることです。

出る場所、どこに出ればいいか。

一つだけハッキリしてる場所があるんですね。
それが呼吸。呼吸してる自分が居るわけです。
これはすぐ分かるでしょ?

席があったらね、このイスに座ってと言える。
この呼吸の位置から見ればいいんだけど
非物理世界だからイスがないんです。
 
ここで、呼吸してる自分という座席に座るんです。
これ、自分の魂の玉座だと思ってください。
魂のお宮だと思ってください。

「痛いのいやだなあ」ってなったら、
まず、「そうだそうだ…」って
呼吸に意識を合わせる。

魂のお宮に座る。
座ると、この自我の袋を
眺めることができるわけです。

外に出るから、
眺めることができるわけです。

今までうまく行かなかったのは、
この袋の中で処理しようとしてたからです。

この中で処理すると、
逆に痛みにエネルギーを注いでしまいます。
「痛いのイヤだ、イヤだ」って。
痛みを育てて痛みが顕在化、
外に広がっていくんです。

袋の外に出て、
このエネルギーを見てあげると、
この袋が破壊されて
中のエネルギーが
流れ出て無くなっていくわけです。

―それは、痛み自体が
無くなるんじゃなくて、
痛いけど、それがイヤではなくなる…?

はい。(回答するの前に)
今質問したのは誰でしょう?

分かるでしょう。
今質問した人は痛みを嫌ってる人だ、
って分かるでしょう?

―はい。

ね。感じてください。
その人、今、その人を。
今質問した人を感じるんです。

その人、痛み嫌がってる。
それをジーッと感じるんです。
ジーッと見てください。

「痛みイヤだ」って人がそこに居る。
それをジーッと見て。
それを5分位やると、
その人が消えていくんです。

そうすると、その質問する人、
質問する主体が居なくなるから、
質問が出なくなります。

これは、やれば分かります。
やってない皆さん、
まだ頭で考えようとするから…
それは意味が無いんで、
議論になりませんから…。


では、もし、頭で
処理するとどうなるかっていうと…。

痛みっていうのは、
必要があって来るんです。分かりますか。

そして、否定するとエネルギーが流れなくなる、
「エネルギーを溜める」って言いましたね。
溜めたものは出した方がいいでしょ?
溜まっているとそこに痛みを感じるんです。

だから、「ここに邪気が溜まってる」って分かる。
邪気って、ちょっと言葉悪いですから、冷えたエネルギー。

エネルギーというのは、一種類ですから、
「いいエネルギー」「悪いエネルギー」
って(区別は)無いんです。

さめたら、温度が冷えて居心地が悪くなる。
それを痛みとして感じてるんです。

ですから、ここに痛みが来るから、
そこに意識を送れるでしょ。

(痛みは)「ここに光を送って頂戴」
という的なんです。
標的を教えてくれてるわけです。
「はい、ここだよ」って標的教えてくれてる。

私、昔社長時代、よく体が凝って
よくハリ治療に行きました。よく行きました。

で、「痛いとこどこですか?」(って聞かれて)
「ここ」ってハリ打ってもらう。
すると、「スーッ」と引いていくんですね。

ここが痛かったのに、引いて行くと、
次に別のところが痛くなるんです。

自我は、次が痛くなったと思うんです。
が、そうじゃないんです。

エネルギーポイント、例えば、8ポイントの
痛みがあるすると、脳に信号がくるわけです。
「ここに光を送って」って。

当時、自分で光を送れるなんて知らなかったから、
ハリ打って貰ったんです。

ハリ打ってると、8ポイントあった場所の
エネルギーが引くわけです。

すると、今度は7ポイントの痛みの
ところが痛く感じるんです。

で、そこにハリ打って貰うと、
痛みが無くなるんです。

このハリ打つ作業と同じなんです。
痛いところに意識向けることが。

で、ハリ治療行くときは
ハリ打ったら治ると思っていくから、
ちゃんと効きます。

私がいつも言うのは、痛いところに
意識を向けてあげる。

フォトンエネルギーが
来てるんだということを思い出して。
必ず消えていきますから。

いま、どこか痛いところありますか?

―あの…

もう、薬のんじゃった?

―ええ。逃げた…

否定してない? 薬飲んだこと。

―…

ちょっと否定してる。
その否定を止めることです。
薬飲んだっていいですよ。

痛いところあったら、
「あっ、的が出てきた。よかった」
というようにしてください。

ところがですね…
網棚の荷物の話、私よくするんですけども…

みなさん、今、ご機嫌よく電車に
乗ってると思ってください。

そしたら、突然、頭に何かが当たりました。
見ると、荷物なんです。

それが自分の荷物だった場合と、
他人の荷物だった場合とで、
どうでしょうか。

みなさん、痛みが違いますね。

この痛みの違い、物理学で説明したら、
同じじゃないといけないですね。
衝突のエネルギーだから。

ところが、全然ちがうんですよ。

これ(他人の荷物が当たった場合の方が
痛みが大きいこと)は心で作り出した痛みでしょ? 

それは、「あの人のせいで」
という否定があるわけです。

自分の荷物だったら肯定するほかなんですよね。
肯定すると、痛いのは痛い。
ただ、それで終わるんです。ただ痛いだけ。

否定があると、その痛みを広げてしまうんですね。

子供たちは、転ぶのを恐れなくて、
果敢に遊びまくって転ぶでしょ。よく。

それは、痛みを否定してないから、
痛みが怖くないんです。

それで、価値観が何もないから、
「痛~い!」って痛みを全部表現するでしょ。
「痛~い」って表現して感じ尽くす。
で、痛みが抜けますね。
それで、無に戻るんです。

ところが、私たちは、
「痛がっちゃ恥ずかしい」と思って、
痛いのに我慢するわけです。

すると、どうなります? 
エネルギーが溜まっていくわけです。

これがエネルギーの貯蔵。
これを皆さんやってるんです。

「あっ、こんなこと言ったら笑われる」
って言いたいこと我慢するでしょ? 
エネルギーが溜まるんです。

エネルギーが溜まると、
それを痛みとして教えてくれるわけです。
疲労感として教えてくれるんです。

否定しない人間になることです。
よろしいですか。

―はい、結構です。ありがとうございました。
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ありがとうございます。

現実の創造者(津留晃一のメッセージ集から)

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