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今日は久しぶりに、母と二人で話をしました。
母は糖尿で、アルコールをあまり飲まないようにと、お医者さんから言われています。
今夜は少しアルコールを飲んでいました。
とても穏やかに飲んでいました。
母は3人きょうだいで、弟と妹を亡くしました。
私は、さみしがり屋の母が心配でした。
今日、話をして気づいた事がありました。
母は、しっかり前を向いて歩んでいました。
『お母さんな、妹も早くに亡くしたけど・・・、寂しいのはあるけどな、お母さんな、辛いことは1個も無いねんやんか…』と私に話しました。『他の人からは、あんた辛いやろ分かるわ』と言われたそうですが、母自身の感覚は違ったようでした。『妹がな、いっぱい辛い思いしてるの見てきてたからな…』とも話していました。寂しさに押し潰されず、ほどよい加減で、寂しさと母が向き合い、共存していました。私はその姿を見て、とてもいとおしく感じました。
一瞬母が、小さな幼い子の様に見えました。不思議な空間でした。
母のこれからの人生が、暖かいものであれば良いなと。ふと頭の中をよぎるのでした。
叔母は他界した。呼吸が浅くなり、身体の痛みが増してきていた。
左の足先が冷たい。
あっちを向きたい、こっちを向きたいと体を右や左に向きを変えたがった。
痛い痛いと、口にしていた。
胃が痛い。
左の膝が痛い。
もう少しこっちを向きたい。
気のせいかな、頭が下がってるように思う。
頭を少し上げたい。
それは、上げすぎ。
うん。それでいい。
痛いけど気持ちいい。(膝小僧を強くわしづかみのように指先で揉む)
だるいだるい。
喉カラカラ。
冷たいお茶。
先生にお薬。
もう、楽になりたい。
長い。
デイルームある。(休憩場所)
など、沢山伝えてくれた。
1日半、ひとときも寝ずに、精一杯、自分の身体に注意を向けていたんだとおもう。痛みに負けずに、諦めずに、伝え続けていた。本当すごいと思う。私たちも、希望に応じて動けた。分かりやすく伝えてくれたからだ。はっきりとした言葉ではない。聞き取れないこともあったが、繰り返し聞こえた言葉を返してコミュニケーションをとった。最期が近づくにつれて、息を吐くことが辛そうだった。肩と首と喉がグーと硬く固まり、息が吐きにくい。私は、叔母の左肩に私の右手で触れた。病室の空間全体を感じて、私自身に注意をむけた。その手で触れた私は、叔母と繋がっていた。2~3回、喉が緩んで息を吐くことが出来ていた。私の身体は床とも繋がりドシッと深い安定感だった。その後肋骨に手をあてた。微かにうなづく様子や。言葉では無い叔母の意思が、私の五感を使いやり取り出来た。
その後、すぐだった。
苦しむ様子もなく、息が止まっていた。
楽になったよと。はぁーと、やれやれといった様に笑っていた。
本当に、おばちゃん。ありがとう。
そして、本当にお疲れさまでした。
ゆっくりしてね。