私の父は、身体障害者で関西出身。母は東北出身で17歳で妊娠。通っていた学校も仕事も辞め、両親の反対を押し切る形で父と結婚しました。しかし、水頭症で死産。その後すぐに私を妊娠し、18歳で私を出産したようです。よく働き、気立ての良い母は、近所から評判がとても良かったです。 身体障害者の父は、そんな母を異常に束縛しました。可愛いレースの下着を買ったら、「誰に見せるつもりだ💢」と裁ちばさみで切り刻んだそうです。毎晩一方的に父が母に怒鳴り散らす日々。そんなイライラを娘の私にぶつける母。たぶん一度ですが、祭りか何かで着物を着せてもらい、歩くたびに鈴の鳴る靴を履かせてもらった私は、音が鳴るのが嬉しくて家の前を走り回って喜んだようです。その事に腹を立てた母は、思いきり私の頬を引っぱたきました。体が吹っ飛び、鼻血がでて、新しい着物に血液のシミが残ってしまうほどでした…。 はっきりとした年は、覚えていませんが、私は保育園児の頃には、父と母と一緒にいることが嫌で、自分だけの部屋がほしいとねだり、自分の部屋をもらいました。ただ、まだまだ幼い私は、一人で寝ることが怖い夜もあり母のところへ行きたかったのですが、素直に甘えることができず、一階で寝ている母に気づいてもらえるように、階段のところに座り込み、鼻をかんだり、咳払いをしてみたりして、気づいてもらえるようにしていたことを覚えています。その頃の私は 夜な夜な「どうしたら家出ができるか…」「体の不自由な父親を、いっそのことこの手で殺してしまおうか…」等、何度も何度も考えてました。その度に「いつか自分が母になった時に、自分の子供に後ろめたいことはしてはいけない。こんな人たちのために自分の人生、棒に振ったりしたらダメだ。」と思い留まるようにしていました。「辛いのは自分がまだ親に対して期待してるからだ。子供では何もできない。いつか大人になって収入を得るまで、今は我慢。」と自分を抑え込むことに必死な毎日でした。そのうち父の毎晩の怒鳴り声を聞きたくなくて両耳を塞いで耐えながら、2階でうずくまるようになり、「耳が聞こえるからツライんだ。目が見えるからツライんだ。」と思うようになり。さすがに耳の中に何かを刺して聞こえなくすることは怖くてできず、目を傷つけようと指を目の中に入れ、グリグリとするようになります。ホントに毎晩毎晩泣いてました。その頃の、私の支えは「いつか自分だけの家族を持つ日のために、耐えよう。今は我慢。こんな人達のために人生狂わせたらダメだ。」でした…。大人になった今、なんて思い詰めていたんだろうと悲しくなります。その頃の、自分に出会えるなら、思いきり抱きしめてあげたかったです。 とりあえず、今日はちょっとしんどくなってきたのでこのへんで終わりにしようかな。 まだまだ続く波乱の人生はこれから少しずつ振り返っていこうと思います。